家族のなかでは空気を読まず、言いたいことがあるなら遠慮せず言う!
この関係をつくる!ことが、私のミッションtop3のひとつでした。
現家族内では「言いたいことを遠慮せず言う」
≪first stage≫はクリアしていると判断しています。
今後、おそらく次なるメインステージへ。
息子たちの成長、思春期真っ只中になった時、私も(夫も)工夫が必要になると予想しています。その変化のなかでは夫婦でたくさん話す必要があり、こちらの意見もあちらの意見もいいたいことを出し合わねば、です。ね。
今後、幼さが抜け、複雑な感情が出てきた時、
言いたいけど言えない(悩み)、
怒られるんじゃないか、反対されるんじゃないか、笑われるんじゃないかという感情の封じ込め、
自分(子どもたち)の価値観と違う他人(親)への意見(反抗)...
子どもは親や周りをよく見ています。
赤ちゃんでさえ、親の表情を見逃しません。
甘えていいか?
これは許されるか?
泣いて怒って駄々こねていいか?
と、考えています。
安心して甘えていいはずの親(家族)の前で、遠慮して自分の感情を押し殺す。親や周りが期待するように振舞うことをする。一番避けるべきは、助けて欲しいというSOSを出したいのに出せない、ポーカーフェイスで過ごす...
上記、すべてにおいて経験者は語る、、、私、、です![]()
子どもは何も分からない小さな存在だと、上から、教える、諭す、レールを引き手を引かければならない存在では、ありません。経験値が少ない分、選択肢が少なく、迷うし、分からないだけ。住んでる世界が狭いので、目の前のことがすべて。
親が子どもの生きる世界を狭くしてはならない。
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我が家の太陽、次男坊。
長男が1年生の時は、登下校も一人で大丈夫かなとあれほど心配し、一人でお留守番も、近所にお遣いを頼んだのもずいぶん後になってからなのに、次男坊にはまったく心配なく、「よろしく〜」と対応している私たち親。
それが出来るという彼のキャラがあったとしても、まだまだ、ピカピカの1年生。甘えたい盛り。ミツオ君に甘えの座を奪われ、お兄ちゃんみたいにスイスイこなせないことは多く、ちょいとばかり家族内にストレスあり。
おい!お前!てめえ!
あっち行け!どっか行け!
消えろ!死ね!
みたいな荒々しい言葉を発します。最近、特に多くなっていました。
親にも遠慮なくぶつけ放題、言いたい放題なのは、私の中ではよしよし!ある意味ではいいこと!と思っていましたが。
ただだからといって、汚い言葉を使うことを放任はできません。
でもって、謝りません。明らかに自分が悪くても謝らないのです。
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昨夜、寝る前に、長男・次男・私で川の字で横になりながら聞いてみました。
昨夕もひと騒動の兄弟喧嘩があって、やっとやっと仲直りしてゆっくりお布団に入ってからの会話。
私「ツバサは謝るのがなかなか出来ないこと、多いね?」
ツ「ちょっとは出来るよ!」(最後の最後にはどうにか謝るので)
私「ちょっとは出来るね。あとちょっとが出来ないんだね。」
ツ「うん」
私「どうしてあとちょっとが出来ないのかな」
ツ「うーーーん、…なんか…恥ずかしい」
私「恥ずかしいんだ。……他には?」
ツ「うーーーーーん、、、……ごめんねって言っても聞いてくれるか不安」
私「なるほどー、不安な気持ち……恥ずかしくて不安な気持ちなんだね。…他にはある?」
ツ「(ずっと考え込んでから)言っても受け入れてくれるか分からないから」
1年生の彼が、謝ることが恥ずかしい・不安・相手が受け入れてくれるかと迷い、素直に謝れないことを(傍で見ているとそうだろうと)分かってはいましたが、改めて彼の口から出てきたことがよかったです。
私「恥ずかしくて不安だったら、謝らないでいいのかな」
長男「おれだったらすぐ謝る!」
ツ「……‥謝ったがいいと、思う」
私「そうだね。たぶん、きっと、それが≪勇気≫なんじゃないかな。………恥ずかしくて不安になっても勇気を出せる?」
ツ「出せる」
カッコよく強いオトコでいたい次男坊に「勇気」の言葉は強く響いたようでした。逃げて避けて見過ごしたいことが出てきた時、この≪勇気≫を思い出すといいな。勇気の積み重ねが出来てくるといいな!
その勇気はどこから芽生えるか?って?
親が100%認めること、
出来たことを褒めること、
子どもがごめんなさいと言ったら「いいよ」と小言を言わずにギュッと抱きしめること、謝る勇気を受け止め、頑張った勇気を褒める。
どんなことがあっても味方だと、伝え続ける。目を見て、笑顔で。
子育ては自分の育ち直しの私です![]()
