セミナーでの質問でも(その他の日常でも)、
「夫婦で意見が対立したり(なかなか折り合えなかったり)、喧嘩することはないのですか」と聞かれます。
そのたびに、ううむ…と考えて、
「…ないです」と答えているのですが、しばらく「ううむ」と考える理由があるからだ、と気づきがありました。
①まず、私のなかで、【夫婦喧嘩の定義が高い】のです。高い、という表現が正しいか怪しいですが(苦笑)、一般の方がいう「夫婦喧嘩」とはどのくらいの意味で使っているのでしょう?
②意見が対立した時に、すぐに解決(納得)いかないこともあり、引き続き重ねて話しをしていくうちに、なるほどと理解できる時期、ポイントがあって、それが早いか遅いか分からず、意見並行のままのこともある…
主にこの2点を気付きました。
①に関しては、私のなかの夫婦喧嘩というのは、【大きな怒鳴り声(罵声)&手や足が出る(端的に言うならばDV)】が「夫婦喧嘩」なのです。両親が(父親が)そうだったからです。自分の意見を上から押し付け、意見しようものなら「黙って聞け」が決まり文句。(母に私たち子どもに)手も足もでるタイプでした。子ども心に、夫婦喧嘩ほどみじめなものはないと心底理解し、理不尽な対立を嫌というほど見ていたので、、、
なので、そんな「(私が定義する)夫婦喧嘩なんて、子どもじゃあるまいし、しませんよ!」です。でも、普通の?家庭の?夫婦喧嘩って、どのレベルなのでしょう?口喧嘩?言い合い?怒鳴り声で?そうなってしまうのはなぜ?単なるストレス・疲れのはけ口か、もうそういう喧嘩っ早いキャラクター??。。。
②に関しては、我が家の「子どもたちへのゲーム問題」がありました。
「ゲームOK、むしろゲームから学びがある」と言う夫と、私の意見相違。私はOKも何も、ゲームをしたこともなく好きなわけでもなく、ゲームのネガティブな部分はすぐ浮かびます。
夢中になったらずっと時間を忘れて没頭しそうだ、眼にも良くないだろう、という不安事項。ゲーム(携帯スマホ等)への依存問題だって知らないわけはありません。
この3年くらい、常に話をしてきました。1年生の長男が3年生になるこの数年間に、彼が、時計が読め、足し算引き算ができ、平仮名カタカナ漢字を読めるようになるにつれ、また、3年生なって、「なぜ、この決まりを守る必要があるのか」のルールや約束を理解できるようになったからこそ、私たちの話し合いの内容も変わり、意見相違から、しだいに、合意に変わりました。
今では私はゲームはダメ!という意見ではありません。ゲームはアリだとも思えています。
夫婦喧嘩の種は、子どもネタも多々ありますね?
別々の育ちをした夫婦が、さらに別人格の子どもたちを前に、意見は違うことがたくさんあるでしょう。身近では、受験問題や習い事の関係で夫婦で考えが違うというのはたくさん聞きます!
違うなりに違う意見をしっかり聴く。
「正しい」ことなんて実は1つもないんじゃないかな。
自分の思い込みや自分の理想や持論だけを展開していては、視野の広がりもないし、成長もなし
だから、違うっていいですね。違いが混じり合いハイブリッドに。
横浜の兄宅へ遊びに行きました。
