「家族という病」がベストセラーになり、その後いくつかの書籍と合わせ手に取った「夫婦という他人」(下重暁子著、講談社α親書、2018年)

 

 

売れている、広く読まれている背景は何だろうと探る気持ちから。

 

下重さんの本は、私は、読み進めながら気持ちがドヨンと沈むことはあっても幸せな気持ちにはなりません...。意見として理解し、共感する部分はあります。家族は他人の集まりだし、家族だからこそドロドロとうまくいかない話、事例もたくさん知っています。本当にやっかいな集団だと思っています、が、そのことと、書籍の内容とが、うまくシンクロしません...うむ。

 

目次や章題(抜粋)

・結婚ぎらい

・捨てたい夫

・「子はかすがい」のウソ

・「家という病」が離婚を作る

・人生設計などいらない   等

 

 

「夫婦という他人」読了後、帰宅後のキミさんに感想をツラツラと話していたら、

 

「不幸な人を救っているかもしれないけれど、幸せな人を増やしてはないね。」

 

この本に限らず、どの書籍も記事も、各種情報の書き手は、読み手は誰かを想像しているだろうし、その対象者が求めている内容を代弁しているでしょう?

だからこそ、たくさんの読者たちはどんな気持ちで書籍を読み終えているかなあ。

 

夫婦や家族のことを含め人間関係について、夫曰く、

「期待して裏切られるのが嫌だから最初から期待しない、という生き方は幸福ではない。」

 

最初から諦めて、引いて、遠慮して、それでガッカリせず傷つかず平穏無事なら、それでいいのかな。もっと正確に言うなら、そういう関係性をあえてする・したがいい相手もいると思う。その必要があることもありますね。

だからこそ冷静に、限定したこの人あの人に対して諦めていていいのかどうか。別人格の他人とはいえ、実の親や、結婚した相手に対して。また、子どもに対して。大切な恋人や友人に対して。

 

まず自分が期待に応えよう。そして期待しよう。

期待に応えてくれる表現を身に着けよう。諦めずに信じよう。

信頼される人になろう。

そんなこんなの旋回をしていると、きっと、変わる。何かが、変わる。