臨月、高齢出産のリスクを鑑みても、なかなかやるな~私の44年の身体...
いえいえー、もちろん疲れます!
先輩ママさんからは「産後にくるよ~!」と半ば脅されても、います。苦笑。
ただ、今のところ体調(血圧体重、血液、尿検査諸々)に問題なく、エコー検査上ではスクスクと育っている子よ、ありがとう。細かい病気は普通に経験、女性系の前癌細胞の手術経験者でもあるのでいっそう「いまココ、健康」の事実に感謝しかありません。(どうぞ、みなさん、何より健康第一で)
毎日の生活に、100%・ノーストレス。断言。
家族に、夫に、子どもたちに。友人知人、近隣生活、仕事、キャリア、自分に降り注ぐコト・モノすべてに。「いろいろなハプニング」は日々勃発しても、気にならないことが大半でいられるのは、どんなにイヤだなー(と思えること)も、そんなことも必要なのサ、と俯瞰していられる故...(若い頃はこうもいかなかったー!)
熊本の研究時代の、特に後半から、私のなかでテーマは引き続き「ひと」や「(広義)家族」です。私はなぜ「家族」のことを書きたいのか、書こうとしているかーと、ふと立ち止まりながら。
都市計画、居住政策、まちづくりの研究者の私が、なぜ?と。
いや、だからこそテーマなのだ。とも。
何か物事を捉えようとする時、多少、距離を置いて見ることはとても大事。
でも敢えて、関心事象、理想とする社会?にもっと迫りたいとぐんぐん近寄って、行きついた場所が、私(あなた)という個人一人ひとりと「家族」という小さな単位。
振り返ると、私の好奇心の種(!)は「にんげん」にあることに尽きます。
(博士論文のテーマは、都市計画における住民参加)
幼少の頃から、先生や周りの大人を観察しては、物真似をよく家で披露していました。この人は何を考えているだろうか?この人はどんな人なのかな?と探りながら。
何を言っても理解してもらえない(と思っていた)父とは、生涯、互いの思考がクロスすることはほとんどなく、だからなおのこと、奥深く、興味深い「ひと」。
理解し合えない人がいる。という事実を丸々受け止めています。
研究者生活で、たくさんの国、都市、地域、各生活を調べていくうちに、住んでいる一人ひとりの意見は多様だし、バラバラだと気づくと同時に、曖昧で、時にパターン化された(刷り込まされた?)「解」のようなものを感じることもありました。「こうあるべき」とか「これが普通だよね」みたいに思う人が、いる。
個人や家族が疲弊、崩壊して、「住/地域生活」に困難を抱えている人(世帯)にもたくさん出合いました。
家族のカタチは様々で、正解はありません。
イメージすることも抱く感情も、皆それぞれ違う。
家族はたまたま縁あって出会ったチームだから、うまくいかないことも、ある。
「家族って何だろう」と何か正解を探り見つけたいというよりは、そこに何か分からないけれど大事な意味がありそうだと、「家族」のことを書くときに拠って立つ根拠はただそれだけだ、とも感じています。直感。
家族が広がり、地域、都市、国、、、となるイメージ。
だから、都市のことを研究する私は家族(ひと)のことを考えます ^^/
すごくすごく濃くテーマのつながりを私のなかに確かに感じながら、新しい活動をじっくりじわじわ、進めたいと思います。
家族みんなで妊婦健診に行きました。
先生が息子たちの顔を見渡して、意味深に、数回「お母さん、がんばってね」と仰いました。。。はい...
