私の母が親業真っ盛りの時代(80年代〜90年代)は、専業主婦が大半で、『男は外・女は内』の時代でした。4大卒の母は、働きたい意欲満々の(その時代にしては珍しい)女性でしたが、時代背景、父(配偶者)の意向、諸々、母も考えたうえ、専業主婦に。
母の父(祖父)は、大正生まれの面白いひとで、女性だから男性だからと一切いわず、高等教育も大学も希望なら通わせ、適齢期だから結婚云々なども、一切言わなかった様子。
そんな母は、私が小さい頃から、
女性も生涯、仕事をすることが良い(すべき)
仕事と言っても、何か専門的な仕事がbetter
と言っていました。
兄弟には、
男性も家事ができなくちゃダメ
何でも一人でできるようになっておくべき
と。(父は何も家事ができない・しない人でした)
内閣府の調査結果資料(H26.5)によると、
【概ね小学生の頃、両親の意識として「女性は結婚・出産しても仕事を続けるべきだ」と感じていた女性は就業継続の意向が高い】や、
【概ね小学生の頃、両親の意識として「男性も家事・育児に積極的に参加すべきだ」と感じていた男性ほど、家事・育児時間が長くなる傾向があり、育児休業の取得意向も高くなる傾向が見られる】
...とのこと。想像できます。
まさか、間違っても、
娘に【学問、仕事はそこそこに、パートタイムやアルバイト等がbetterで、稼ぎのいい人と結婚して、キャリアを積むよりは家事育児に専念し、しっかり家を支えなさい】とか、
息子に【しっかり家事育児ができる女性と結婚しなさい】、【子どもにはお母さんが大事だからしっかり子育てに時間をさける女性を】等々、
言ってませんね?思ってませんね?想像してませんね?
(そんな時代は終わりました~)
未だに周囲との会話のなかで、
「うちは、女の子だから、そこまで...」とか、「男の子だから、受験とか、●●とか...」のような、性別を意識した子育てコメント(教育に対する姿勢というのか、先々を見通した子育て考というのか,,,)を聞くことがあります。
(むむむ???)
子ども(ひと)のカテゴリーは性別だけではないし、色々な違いが明らかな「個性」であり、どの人も、等しく生きていく術(自立)を身に着ける必要がある、ということかと。
さらには、
出来ることと、すること、は違う。と思っています。
出来る状態でいること、出来るように努力すること・学ぶことは大事。
家の諸々のこと、生活の様々なことへの対処、社会生活の礼儀やマナー、子育てへの意識や子どもの成長のこと、、、(大人として 一生べんきょう)
私は家事育児、料理全般、何でもします(嫌いじゃありません)。これは母からの影響は間違いありません。栄養を考えたバランスある食事づくり、健康に過ごすための掃除洗濯炊事全般の事、家計管理、社会環境に配慮した行動や学びの姿勢。ありとあらゆることを後ろ姿から学びました。(母がそうありたいと行動する姿が第一にあり、完璧にこなしていた等とかではありません)
そんな母の後ろ姿を見ていても、専業主婦になりたいと思ったことは微塵もなく、結婚後も、家事育児を私に任せてね!なども一切思ったことがありません...
配偶者、子どもたちとが皆で協力すること。だってそれは「生活」そのものだから。
得意な人、気づいた人が率先してしたり、出来ないことは出来るようにしていく。
私がいなくなっても、残されたメンバーで変わらず生活が送れるかどうか、を基準に日々生活しています。私がいなくなった途端、健康的な食事にありつけない、なんてダメです。ね?部屋が散らかり放題、洗濯物が山積みなんて、まさか!
昨今は、家事育児もできるだけ協力したいと回答する(若い)男性は増えているデータあり救われます。男性・女性だからという価値観、社会からのプレッシャー等を新しいバージョンに刷新し、その人らしい、その家庭らしい「暮らし」を探りたいです^^ 特に男性とたくさん議論したい。
こちらの書籍、目次を読むだけで悲しい...
・普通の男は父、夫になりづらい時代
・男という存在の軽さ
・一部の優秀な男性の精子だけが求められる時代に?
・男が捨てられる時代
・家庭で居場所のない夫 (目次より一部抜粋)
そんなはずは、ない。はず。はず。
私の周りの男性、知人友人男性、息子たち、教え子男子学生、、、想像しても、決してそんな軽く扱われる存在ではないし、あるべき(希望する)姿ではありません。
色々なことが、変わりつつある時代。なのでしょう。ね。
だから、どう変わるのか、の議論を重ねなくてはなりませんー。
編み編み男児 何でも楽しんだが◎

