量も内容も大したことはありませんが、毎日宿題が出る長男(公立小、二年生)が、遊び一辺倒の次男坊を見て(自分もそうだったのに^^;)、

「どうして勉強ってするんだよー」と疑問&怒りに交じる主張をすることがあります。

 

「学び」「勉強」「学習」という言葉が、どこかカタく、真面目で、四角四面な印象なのは、まだ昔ながらのイメージを引きづっているから:

特定の答えがあって、すでに用意された正解を探す作業」が圧倒的に多かった時代のなかに未だ居る、感覚。

 

子どもたちを見ていると、そんな時代はもう終わり、「主体的に考える」「創造力をはたらかせて、想像する」「楽しんで身につける」ことの大切さをひしひしと感じます。そしてもちろん、大人の私たちも、その新しい時代に対応する必要!

 

 

どうして、人生100年時代だと皆が疑わずに思っているのに(少なくとも、とっても長寿社会だと認識しているのに)、10代以降、18歳19歳までの多感な数年間を必死で点数を取ることに集中しなけらばならないの?その点数によってその後の人生が決まる、みたいな生き方は、ぜったい強いられてはいけないよ、ね?怖い。

 

何をするにも、学ぶことにもお金がかかるからこそ、一度働いてから、挑戦し、学び直してみてもいいよね?

何がしたいか分からないなら「とりあえず」色々やってみようと探検・冒険の旅に出るのもいい、

だいたい私ってどういう人なの!?って自己理解できてる?本当に?

好き嫌い、得意不得意、向き不向きは絶対にあるけれど、そのことをちゃんと自分で理解している?

世界中を見渡しても、そんな「余分な」「after school的な」の経験値が極端に少ないのが日本というのは、見事に、おかしい。

 


センター試験に一喜一憂して二日間に勝負をかける社会。

教員や担当者のストレスや疲れ具合も半端なく。

センター試験が変わる?記述式が増える?それで一体、何が変わるのか。

若者の先々の長い人生にどんな好影響があるのでしょうかー。

 

学び=新しい・知らないことを知ること。

知ること・感じることで、違う見方、価値観を手に入れることができる。

自分の世界が広がることは、新たな自分と出会うこと、自分自身が変わること。

変わっていけると知ることで、成長し向上する気持ちが芽生えること。

世間にはいろいろな人がいて、いろいろな見方があることが分かれば、小さなことに一喜一憂せず、自分の世界を生きる、選べる。

複数の選択肢、アンテナが自分自身のなかに増えることそのものが喜びとなる。

 

だから、学ぶことは、自由になること

 

コトバの意味としての「自由」について考えを巡らせていて、

学ぶからこそ自由を手にできる。と分かった瞬間に、頭のモヤモヤがすーっと晴れていきました。そして、その自由を手にするために、一人ひとり(私)が、「主体的に」学ばなければならないということも。

 

どこまでも自由でありたい!