家のすぐ近所の花屋さん(男性おひとりで経営)、家族皆んなで仲良しです。

 

家の目の前といってもいいくらいの近さなので、2年前に東京に来てからすぐに通っていて、お喋りはしていました。私が熊本で仕事をしていて、家族がバラバラに住んでいたのを、子どもが小学生にあがるのを気に私が退職して母子で上京し、同居になったことなど。

 

しばらくして、夫がテレビに出ていると知ってから、私もテレビ関係の仕事かと想像していたらしく、「で、奥さんは何のお仕事?」と聞かれた時、「大学で教えていたよ(あ、今も東京の大学で研究員で所属してる)」と言ったら、「へーー、意外!先生?!」だって^^

 

今日、お花を買いに立ち寄り、

「最近、お腹大きくなったねー。通りを歩いてるの見てたら、顔つきも何だか変わってきて、カワイイ感じじゃん。良い感じ!」なんて言われて、ひっくり返りそうになりました...

 

「かわいい」という表現に普段まったくなじみがなく(男児に囲まれているせいですっ!><...)言われたこともなく。先日は次男坊が唐突に、「お母ちゃんってオトコみたいな女の人だねえ」って言う(汗)。

 

花屋さんに、「えぇあぇああああ、、、いや、私は仕事してる顔が私らしいって思ってるんだけどな~~」ってモゴモゴ言ったら、

 

いやぁ~、女性らしいというか、母親のような母性のような、柔らかい感じがいいじゃない?働くのもいいしキャリアウーマンももちろん素敵だけど、でもキッツイ顔のひと、いるじゃない?あれはちょっとね~~と......うむ。

 

働く母さんは必死なのだ。忙しい。スケジュール分刻み。

そんななかに、「柔らかさ」が出る、出すには、どういう生活がある?と、想像してみました。

確かに、自分の顔(の変化)に責任をもって、年を重ねることは大事。

若くない年齢に入ったなら一層...デス

 

思いっきり口角挙げて笑う時間はある?

きれいな、素敵なモノに触れたり見たりしている?

美味しいもの食べて「おいしい~☆」と心底感じて言ってる?

旦那さんや友だち、子どもたちとスキンシップしてる?

大好きな、お気に入りのものに囲まれた生活になってるかな? とか。

 

今の日本のファミリーの家事育児環境は、

イクメンを「宣言」しなければ育児に参加できない、しにくいという現実。

子どもがいても仕事が終わって自宅に「帰りたくない」男性がいるのを、「フラリーマン」だなんて面白い名づけで、一笑できないリアルさ。怖。

 

記事に登場のお父さん(37)は、家事育児を手伝っても奥さんからのダメ出し、指摘がキツクて、かといって喧嘩は避けるようにしている。穏やかにかわす術として、残業ない日に直帰せずにファミレスで小説読んで時間を潰す、というものでした。帰宅したくない状況を作っている奥さん、こわいです!

 

優しく、優しく言ってみよう~、ほめて褒めて、感謝してみよう~。

適当に、適当に。自分の基準に相手を合わせようとしないで。

男性も逃げずに、「そんなに言われるとやる気が失せるよ」と奥さんと正直に対峙しよう、コミュニケーションのあれこれを試そう、よ!

 

 

目指す社会は、

【人が人生を生きている】という事実に気づくこと:

「仕事は現代社会におけるとても重要な役割だけど、多くある役割の1つに過ぎない」こと、「人生における様々な役割は、中心的な役割のもの、補助的、周辺的な役割とがあって、時期によって変化もする。それぞれの役割は互いに影響し合っている」こと。夫婦、家族がそんな役割交代をしながら、長い長い人生を歩んでいけたら、もっと社会が穏やかに、豊かなるのではないかなと信じています。

(参考:Donald E. Super)

 

仕事を「辞めて」「緩めて」「休んで」も、そんな時期もなくずっと走ってはいられません。歩いたり、走ってみたり、休憩したり、それを皆が、夫婦が、家族が「意識して」できるようになると、「今、ここに、わたし」が存在していて、生きている実感がもてて、楽しい。

 

そんな社会を目指して学者としても研究しつつ、

我が家なりの試行錯誤中。いろんな私、いろんな顔を増やします。小さな社会実験はつづく...

 

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