Life is not about waiting for the storm to pass,

it's about learning to dance in the rain.

(quote by Vivian Greene) 

 

(ネットから画像お借りました)

 

クリスマス前に新宿伊勢丹に20-30分立ち寄った日。

華やかなクリスマス気分を味わいたくてエスカレーターを上下するだけ、みたいな気持ち^^。文具売り場でそれはそれは多数の綺麗なクリスマスカードがたくさんあり、思わず。母と義親へのカードを2枚購入しました。レジ横でお会計をする間、ふと、横に飾ってあった額縁のなかの言葉に釘付けになりました。

Life is not about waiting for the storm to pass,

it's about learning to dance in the rain.

「人生は嵐を過ぎ去るのを待つんじゃないよ」、

「雨の中をダンスする術を学ぶよう」...か。

 


そんななかの年始、

モヤモヤする新聞記事(朝日1.5付)、この手の記事は近年よく見ます。

45歳独身、非正規雇用、両親(78歳)と同居の話。

 

記事によると、女性は年金暮らしの両親と同居。

大手菓子店の非正規雇用、手取りで月12万円。

短大卒業後に正社員で働いていた会社に総合職がなく29歳で退職、正社員としての再就職を探しているものの年齢や経験不足が壁となり非正規の仕事を転々。

 

親は非正規になった際に「貯金に回しなさい」ということでお弁当を作ってくれるように。40を過ぎてさすがに申し訳ないと思ってお弁当はいいと伝えるも、母は作ってくれている...

 

時々飲みに行ったり趣味の交流から友だちの年代は幅広く、充実していると思いつつ、35歳過ぎ頃から「パートナーがいない自分は半人前」という思いに囚われている。10年前から結婚相談サイトや婚活イベント等で出会いの機会を増やす努力をしているが成果なし。姉夫婦宅で、めいとおいと戯れる時間が楽しく、彼らが慕ってくれるのが嬉しいものの、経済力のない自分は彼らに迷惑をかけるのではと思っている。

今の願いは「ネコみたいにひっそり死ぬこと」。

 

 

「ちょっとー!、同年代のあなた!しっかりせんねーーー!」

「どがんしたかとねーー??」

 

思わず心の中で叫び。読後モヤモヤ。

 

イイ年過ぎた女性(男性)が親と同居が半人前かと言えば、YES, YOU ARE!! 

でしょう?

(ただし、親や自身の心身が健康であり、親が"貧困状態"でないならば。)

 

イイ年して親と同居してるのは、その理由が何か次第。

同居が必要、必須な場合ももちろんあります。

新聞記事では「40歳を過ぎて両親とけんかすることが増えた...生活習慣や時間が異なり、お互いの将来の不安も重なり、感情をぶつけてしまう」とのことでした!

 

そのストレスを互いが感じたままの同居。45歳の彼女の問題であり、それ以上に親の(子育ての)問題もアリ。子育てで何をしてきたの?子どもを自立させる(自分で生活する力をつける)のが親の役目で、お弁当を毎日作ることではありません。

 

記事には、「この給料(12万)では家賃を払えない」とありましたが、

本当に払えないの???やってみたの???

私が給料12万円の時代、家賃をちゃんと払い生活していました。もちろん余裕はない。上記に、"親が貧困状態"でないならば、と書いたのは、生活スタートには一定の資金が必要で、その多少の援助を親ができる・できない、にもよるし、万一の際のセーフティネットとして家族・親と支え合えないなら、なかなか厳しい...

「いざとなったらいつでも帰ってきていいから頑張りなさい」とポンと背中を押してあげられるかどうかの親の諸事情との相談はあります.......

 

 
ただ、お金の有無に関わらず、どういう考えで、どんな生活をする??
環境や状況に文句が多々あるのは重々承知のうえで、「で、どうする?」と自分事としてどれだけ本気で考えられているか??
 
新聞記事の文章のみでは分からない背景も多々ですが、彼女もご両親も、心身健康に「普通に」生活をしている大人と読み取れたので、いっそうモヤモヤしました。「しっかりせんね!」って声を大にして言いたい。
 
私事では、

30歳(2004年)でデンマーク留学から帰国した2月、実家に居候選択はなく職探しをし、当時、神奈川県逗子市役所の秘書課が募集していた嘱託職員(政策研究員)に3月半ば頃に内定いただき慌ただしく上京しました。逗子市がどこにあるのか、どんなまちかの詳細は知らず、横浜の土地勘もまったくなかったですが、働きたい、働かねばの一心。月曜から木曜勤務で、9-16時くらいの勤務だったと思います、月12万円。

 

横浜市栄区の、JR本郷台駅から徒歩30分の古びた木造2階建てワンルームアパート。6畳あるかないかの狭い部屋に、合皮の安いソファベッド、小さな勉強机とパソコン、テレビのみが家具らしい家具。洗濯機は外置き。キッチンと言う名の玄関脇の通路(廊下?)に簡易の流しがあり、お風呂はユニットバス。

当時は、シェアハウスもなく(一般的ではなく)、どうにか見つけたアパートで家賃は約4万円。

 

デンマークから帰国後だったので、質素な生活には慣れていたこと、私自身の価値観が180度変わっていたし、「収入が低い身分にはそれ相応の生活をしながらその後の戦略を練るが当然のこと」と思っていました。

確かに、時々行った横浜駅周辺も、新宿界隈も、華やか過ぎてモノがあふれていて、同世代の女性は綺麗すぎて、自由に買い物ができない寂しさは痛いほど。

でもあの経験は絶対にアリだったな~と振り返ることができます。とてもとても真剣に自分と向き合いました。私は何ができて、何をしたいのか、何が足りないか等。

 

駅から徒歩30分の間には、英語のテープを聞きながら語学が錆びれないように工夫したり、次書く論文の案を考えたり、第一とてもいい運動でした。わざわざフィットネスに行く必要なんてないのです☆駅近くのカルチャーセンターに時々参加すると、おばちゃんたちとも仲良くなりました。

 

 

経済難と心理的圧迫は、確かにあることを十分理解しています。

なかなか収入が伸びない時代、特に女性は年齢や経験値が云々といって就職が厳しいことは現実。でも?だから?で?どうする?

そんな時代はしばらく続いている(続く)こと、なかなか変わらない現実も理解できるはず、もちろんより良く変わっている部分もあり、変わろうと皆があちこちで頑張っていることも多々あります。

 

希望が持てないとも言われる時代、だけど一緒にガンバロウよ!

社会のなかで私の出来ることに誠実にしっかり取り組もう!

と気づき、かたく誓う新聞記事でもありました。

 

 

ね、だから、だから!こんな気持ちで。

Life is not about waiting for the storm to pass,

it's about learning to dance in the rain.