師走も最終週。2018年はどんな一年にしたい?と、ボールを投げられ、一行、いや一言、いや一文字で?と考えました。 

 

【愛】

~周りのひと、夫や子どもたちや友人知人...から受けるたくさんの≪愛≫を素直に受け取り心身に充満させた後には、私からも発信できるように。そんな毎日が過ごせるように、その気持ちで何事にも取り組めるように。そんな一年にしたいです。

 

夫は、愛情表現、感謝表現もろもろ、毎日毎日発してくれます。

ちょっとしたことでも「ありがとう」「助かるよ」「嬉しいよ」と言葉かけをしてくれますが、そういう一つひとつがつい忘れがち(心で思うだけ)です...

夫が8で私が2くらいの割合だなあと振り返り反省。

 

行間を読み、空気を読む日本人は、愛情表現も感謝表現も少なめとデータあります。

確かなデータなど取れないでしょうが、調べていくと、夫婦の一日の会話時間、父子の一日の会話時間は、世界最低レベルだとありました。

聞いてびっくり?そうかもしれない?と思う?

話さない、話せない、言葉のキャッチボールがないというこれ以上の寂しさはありません。経験したことがあるひとは分かりますね...

 

 

今年は、年明け1月末に父との別れがありました。

兄/私/弟のなかの紅一点だからか、私の我が強く言うことを聞かないとヒヤヒヤしたのか、小さい頃からなんと親は面倒なんだと思い、要らない世話・心配も多々されました(と、感じていました 苦笑)。

父からの愛?を感じることはなく。もちろん!!私に対する溢れすぎる愛は、昭和一桁生まれの九州男児、貧しい長崎の戦前も経験し、努力の末には大学を卒業し、自宅で千冊以上の文学書、専門書に囲まれて黙々と勉強していた、という父の性格上、愛情表現?出来るわけなく。そんな性格ゆえ。30歳過ぎた娘に「どうして結婚するんだ?(仕事がちゃんとあり経済的に何も困っていないじゃないかと)」と迫り話しにならず、夫に2時間も説教したお方です(夫が何か話そうとすると、いらんことは言わんでよか!と言い放ち)。今では笑い話ですが!ね!

 

父娘関係の長年の葛藤、ズレを少しづつ埋めるかのように、年齢を重ねるとともに、敬意、共感、理解を重ね、それぞれが互いに理解し合う頃合い、境地に至ったあたりかな、というあたりで、「じゃ、また!」というお別れだった気がします。寂しい永遠の別れというより、本当に「じゃ、また!」みたいな感じがしました。

あの親父なくして今の我無し、みたいな感は確かにあり、

性格的にも、人生的にも。もちろん、良い意味で!☆です。

 

 

別れはいつ訪れるか分からないとも痛感した最近。

夫の大学時代の親友40歳、私も結婚式でお会いしたことある、夫からもよく聞いていたオモシロキャラの、元気な関西人。陽気で丸い笑顔がとっても印象的。

突然の病気であっという間に(ひと月ほどで)天に召され、夫はもちろん、私も唖然。生まれて間もない次男君がいると聞くと、何とも言葉がありません。訃報を聞き夫は夜行バスで関西に向かいました。

 

 

ちょうど、文豪トルストイを手にしていました。平易な文体で読みやすいです。

人の心の中には何があるか

人は何によって生きているのか

人が知る力をあたえられていないのは何か

という課題を私たちに問いかけます。

 

人としてこうありたいと思う心の声に素直に従い、

自然に湧き出る感情、それに伴う行動のすべてに「愛」を見つけなさい、と言っているよう。「人の生き死には誰にもきめられない」ということも忘れてはならないと。自分がいつ死んでも悔いのないような生き方をしなければならないということが書かれていました。何を大事に生きますか、と問われている気がします。

 

2018年は≪愛≫です

Merry Christmas♪

 

インスタグラム▶eikosaita3