週1回のコーチ(メンター)との話は、雑談のようで雑談ではなく、課題を解決しようと対話をしているようでそうでもなく、何かをキャッチしなくちゃーと思っているようでそうでもない、けれど...も!!、たくさんの気づきがある!という不思議な時間。

 

コーチングセッションは、「コーチが何かしてくれる(他力)」と思っている場合は機能しません。

セッションをしたのに何も変わらない~なら、それはなぜ?

もちろん、コーチ(私)自身がたくさんの引き出しをもち、クライアントとの真摯な対峙を重ねる努力は必要。

 

 

さて、

以前、コーチと「私はどうありたいのだろう?(ブランディング)」のようなやり取りをした時だったと思いますが、コーチから「自分を別のものに置き換えてみようか。例えば、場所・建物・モノだと何?」と問いがありました。

どういうこと?場所!? 建物!? と頭がフル回転。

 

 

百貨店?ホテル?居酒屋?どこかのブランド?ブランドによっても雰囲気が違うので、どのブランド、と考えるのも面白そう、、、百貨店もホテルも、確かにそれぞれ違います。ターゲットの客層も雰囲気もサービスも。外観や内装だって当然違う。良し悪しではなしに。

 

コーチご自身は「旅館(料亭)」と仰る。

聞いてなるほど合点!実際のコーチと旅館・料亭とが、すぐに結びつく音譜

木造の安定したつくり、こじんまりとしながも上質な空間、丁寧にお客様をお出迎え、爽やかなサービス、綺麗で清潔な部屋、生花が飾っているよう。派手な広告を打たずとも知る人が立ち寄る場所。当の女将は笑顔がとても素敵で、お話が上手。もっと話したいと思える頃合いでさっと引く感じ、とでもいうのか。立ち寄ったゲストの満たされた顔が手に取るように浮かぶ。深い!

 

 

私は???

間もなくイメージしました。

実際の私がそうあれているかは未だ問えませんが、「そうありたい」と心底願う空間。・・・それは「教会」

 

 

ヨーロッパの重厚な歴史ある教会、とはいえ、小さな町に佇んでいる。

町の中心にあって、皆が知っている。ドアはいつでも開いています。

ステンドグラスからはあたたかい日差しが綺麗で、床にはその色合いの影。

悲しい時も嬉しい時も、いつでも出入りできる優しさが溢れ、

赤ちゃんが生まれて洗礼を受ける時から、死/旅立ち/別れにも寄り添う。

子どもたちが学校帰りに立ち寄り学び、食事を共にしたり、語らい、瞑想する。

どんな懺悔だって批判なく耳を傾ける。

 

picture from Denmark

 

物心ついた時から教会はとても身近でした。

たまたま近所のカトリック系の幼稚園に通ったことで、先生にはシスターもたくさんおられ、ミサもありました。実家家族は、キリスト信者ではないですが、母はよく教会に連れて行ってくれたし、小学生の頃、聖書の勉強会に行きたいと手をあげて参加していました。

デンマーク留学中、苦しい時泣きたい時はもちろん、嬉しい時も、町のあちこちの教会に立ち寄り、ただ座っていました。留学中のヨーロッパ各地へのバックパック旅行で必ず行ったのも教会。極寒の年末のドイツの教会は暖かかったな~...

 

結婚式は長崎市の大浦天主堂(国宝)。

 

 

そんな場所にイメージが重なる人でありたい、あれるよう、年を重ねていきたいと思います。