東京での電車移動の楽しみは、「人間観察」。
スマホでメールやゲーム、データ収集に熱心な人が8割近く。電子書籍、紙の書籍を読んでいる人が1割。寝ている、ボーッとしている人が1割程度かな?
私は、ほぼ人間観察か頭の整理、考え事、時々メール。
夫婦や家族を観察していると「似ています!」ね。
面白いくらい似ていますね。似てくるというのか・・・
年齢が上がるにつれて、その似ている加減がさらに増して、体格はもちろん(「同じ釜の飯を食う」故?^^)や顔の表情、醸し出す雰囲気(服装のテイストが似ているからもある?)。
親子を見ると、「遺伝子ってすごいなあ」と感心すること多々![]()
ちゃんとパーツが遺伝しています。
私自身は母親と似ています(と、言われます)。自分の30年後が見えます。。
ちょっとした写真の仕草に、夫から「お母さんにそっくり!」と言われることも。![]()
兄と弟の声は電話越しだと区別がつきません。
私の真面目な、頑固な性格は父親譲りだなあ、、この家庭に育ったからこそ、私含めきょうだいの性格は後天的にしっかり出来上がってきました。。。(良し悪し
ね)
家族とはいえ、「他人同士(別人格)」だと心底思っているので、
出産後、自分の子どもも、「別のひと」という感覚。男児というのもあるかな?
うまく表現できないのですが、いつもどこかで冷静に家族のことを見てきたところがあり、「家族が一番」、「家族が大事」などの平和な、あたたかい言葉を聞くと(結婚後は、思わず自分でも言うことがあるのですが!)、「キモーッ」と心の中でひとり突っ込みをしています。
もちろん、家族という単位に最大の興味、関心があるうえ、どうにか理解したいし、解きほぐしたいし、確かな信頼関係をもつ、笑顔あふれる家族が増えたら、もっと日本は素敵になるし、世界平和にさえ繋がると思うほどです。
たまたま生まれてきたら、この国のこの時代で、親の役割担ってくれる人やきょうだいが割り当てられていて、、という「たまたま」なだけの家族。
どの人も、どの子どもも、どんな国のどんな他人も、尊重したい大切な他者=大きな大きな家族みたいなもの のような感覚あり。
だから、メディアでしばしば取り上げられる「普通の家族」「血縁家族」「戸籍」「男女性別」の発想はとても小さく思えます。たぶん、研究者だから、理路整然と、エビデンスベースで、客観的に示さなくては・・でしょうが! こと、家族に関しては、ボカシボカシでも、ふんわりベールに包んでも、たくさん書いていきたい気持ちでいます。
