私の実弟は、小中学生の頃までは、とても明るくヒョウキンで、ルックスもいいのでかなり「人気者」でした。姉としてもその明るさが自慢でした。

勉強は好きではなく、当時通っていた公文や習い事は、しょっちゅう母親から小言を言われ、彼も文句を言いながら、嫌々やっていたように記憶しています。

勝手に友達と遠く(校区外)に遊びに行ったり、釣りに行くと週末ふらっとでかけたりと、そういう「自由な」ところが、私は大好きでした。(私にはない一面だったので)

 

90年代、ギリギリ、長崎市内の進学校に進学するものの、勉強は嫌いだから成績は学年で下の方。400番台?周りは成績で評価をする時代。親も、少なからずそういう一面があったので、彼のもつ明るく、自由な性格はみるみる影をおびていきました、、、

学校にも行きたくないので朝寝坊は日常茶飯事。どうにか始業時間に滑り込んでも、朝から慌てて飛び込んだところで落ち着いて勉強という雰囲気でもありません。水泳部では頑張っていた記憶がありますが、授業中もよく寝てたんだろうなあ、、、

 

何が言いたいかというと:

 

本当にひとそれぞれ、個性・特徴があり、持っている良さがあり、それは、(当時)大半の大人や世間が子どもを評価する時に用いていた「成績の軸」が、彼にはマイナスにしか作用しなかったということ。「子ども(小中学生)」時代から、10代後半にかけての繊細で、敏感で、大事な時期にどう過ごすかを、大人(親)はどう考えているか。

 

何かに真面目に取り組むことはとても素晴らしいことです。

学校の勉強も、基礎的な学びも、分からないところ、苦手科目に真摯に向き合い、学ぶことは尊いことです。

 

しかし、です。考えてしまいます。

 

もっと、彼に選択肢が自由に与えられていたら?

勉強や進学だけが人生ではないと本人も周りも理解していたら?

その後の人生においても、挫折や失敗をしても、「またやり直せばいい」と思える内なる自信を彼が持っていたり、社会の受け皿があったなら?

一番は、本人がもっと自分を認め、自尊心があり、それを糧にできるなら?

そして、それを育む親や周囲の大人がたくさんいたならば?

 

40歳を超えても、彼はほとんど正規に働いたことがありません。そして独身。

クラシック音楽に精通していて、読書(古典的なもの)をし、(就職活動にはあまり役に立たたないけれど)幅広い教養があるひと。あのオモシロキャラの少年はどこへやら、真面目過ぎるほど。どっちのキャラクターが彼の本来の姿なのか、分からなくなるほどです。

どちらでも良しとしても、「真面目過ぎると苦労する社会」です、、、。

 

体調不良の時期も長くあったが故に、余計に「レール」から外れてしまいました。

 

私はこの「標準的/平均的」な「レール」をぶち壊したいと思っています。

 

もっと自由でいいじゃない?

人生何度でもやり直してもいいじゃない?

いろんな働き方や生き方を認め合っていけるといいよね?

 

コピペしたような人生が大嫌いです。

そこに「自分なりの哲学」があるならいいですが。ね。

 

社会はどんどん変わってきていて、働き方もぐらぐら揺らいでいます。

職業訓練やキャリア教育は世界のなかでも周回遅れの日本。

 

コーチ業も、これから学び取得予定のキャリアコンサルタントも、大学での研究教育職も、(予定している)出版のテーマも、上記の思いが根底にあります。

 

そして、私自身が子育てをしながら、親がいかに「素人」かということに気づきました。ただちょっと先を生きているだけの人間。

目の前の子どもたちが、どんな人生を【自分で】選んでいくのかを、私自身がどう見せられるのか、日々、試されているようにも思っています。