2002年に博士課程を修了するとき、周りが希望するようにはすぐに(大学教員として)就職したいと思いませんでした。だいいち、できるとも思っておらず、とても厳しい競争に恐れるばかりでした。
学生生活の狭い世界しか知らないまま、自分が大学の教壇に立つ!?
自分の研究にどんな特徴や面白みがあるかも語るレベルにはありませんでした・・・
20代半ば頃から、指導教官のサポートがあってドイツやオランダへ調査に行く機会があり、民主的な政策決定手続きがある(成熟した)国を、素直にスゴイな、良いなと思いました。古い町並みやスケールの大きさに圧倒され憧れました。
学生の単なる1週間か10日の滞在で「分かったように」論文にまとめることも、どこか違うと違和感がありました。住んでみなくちゃ。できるだけ長く。行って見て、生活して見えるいろんな実態を通して、わたしの言葉で文章が書きたいと心底思い、その準備を進めました。
ただし、「英語を話すとなると緊張するし、言いたいことが言えないし、私はだいいち何を言いたいのよ」と精神的に未熟な、葛藤の多い、学生時代。
「ホンモノのdemocracyを知りたいなら、denmarkだ」と当時、ヨーロッパのことをよく観察している友人がいいました。デンマーク!?
今とは違って、雑誌にときどーーーき掲載されるような小さな国。情報もほとんどなく、研究者仲間にデンマークのことを語るひとは皆無でした。
これだ と思いました。ひとがやってないことをやってみようという研究者魂?はもちろん、あらゆる直感と偶然がデンマークにつながりました。
デンマーク政府奨学金 というものがあることを並行して知り、博士課程修了時期には良いタイミングだったこと、たまたまその奨学金を過去に得た方にアクセスすることができ、どうやったら奨学金を取れるか・という「戦略」を練ることができました。
当時、TOEFLの点数はまったくあがらない有様。
「留学に必要な語学力」を証明する(面接官に示す)方法は工夫次第。
後は現地で何とかするんだという情熱のみ ^^;
英語は度胸。一に慣れ。二に慣れ。三に慣れ。
そして、何が言いたい?という軸と、ムダ話や雑談をするチカラ。
今では怖いものなし?だけど、20代の私には厳しかった。
渡欧して最初の1ヶ月目にして、胃の激痛で数日ベッドから起き上がれませんでした。
デンマークでは(他の欧米も)、「あなたの考えは?」と聞かれます。黙ってウンウンと聞いていただけではダメなのです。ニコニコしているだけでも奇妙なひと。
高度に成熟した民主主義的国家では、市民の知的レベルがとても高く、高校生はもちろん、ホームレスのひとだって「英語で」政治を語ります。
また、LGBTのひとが周りに普通に居たし、パレードでの主義主張。
デンマークに住んだからこそ実感した「いろんなひと」が居ること。いろんなひとがいて当たり前で、それぞれが認められる・生きやすい社会にならなくちゃという強い思い。ひとと違ってそれで良い。
「経験」を経た40代の今は、明らかに20代のわたしには無かった考えがあります。
ムダ話も雑談のネタもあるし、逆に肩のチカラを抜いてテキトウにいい加減に済ませることもできるし、イチイチ周りを気にしたりもしません。
語学学習は年を取ってからこそ、のやりがいや成果がある、かも。です(!)
若いころにドンドン海外に出たり、異文化交流も含め、いろんな失敗や挫折も当然必須。
そこに加えて、大人の理性と判断力、自立心があるからこその、語学(ことば)を磨く楽しさがあるのだと実感しています。


