小学生の頃、2学期の9月から年末の3ヶ月を本当に長く長く感じました。
1ヶ月、3ヶ月の時間の間隔は、今や当時の5倍速くらいにはやいです。不思議です、、、、
同じ時間でも、ながーく感じるときと、時計の針は意地悪に加速しているんじゃないかと思うときがあります。焦っていると高速回転ですね。。。
「ゾウの時間 ネズミの時間」:長年のベストセラー。初版が1992年。たぶん、その頃から本の存在は知っていたと思うのですが、不思議と手に取りませんでした。ずっとひっかかっていたのは確かで、なぜか、先日、どうしても読みたくて、いよいよ購入しました。
「島の規則」を著者がルイーズ・ロスから聞いたというくだりで:
アメリカは学問の世界では、何でもスケールがでかく、巨額のお金を動かして、スゴイことをしている。一方で、一歩大学の外に出るとだいぶ感じが違い、スーパーのレジにしても車の修理工にしてもあきれるほど対応がのろいし不適切。日本人の有能さに今さらながら気づくと著者。
↑島の規則!↑ との表現。(なるほど!)
島国という環境では、エリートのサイズは小さくなり、ずばぬけた巨人と呼ばれる人物は出てきにくい。逆に小さい方、つまり庶民のスケールは大きくなり、知的レベルはきわめて高い。島の規則が人間にも当てはまりそうだ、、、と。
大陸に住んでいれば、とてつもないことを考えたり常識はずれのことをやって、仮に周りから白い目で見られてもよそに逃げていけばいい。島では、出る釘はほんのちょっと出ても打たれてしまう。だから大陸ではとんでもない思想が生まれ、また、それらに負けない強靭な大思想が育っていく。
動物に無理のないサイズがあるように、思想にも人類に似合いのサイズがあるのではないか。とも書かれていました。
長年、教育の世界にいる親友とランチを囲みながら、日本の教育のことについてお喋りしました。
彼女が受け持つ生徒(高校生)は東京でも屈指のエリート。裕福な家庭の子で、教育熱心な環境があり、将来の日本をあらゆる場面で支える学生さんです。私は地方都市の話や大学の話などを通して、互いの問題意識をクロスさせると、どうしても日本の10代以降の学ぶ環境、育つ環境の貧弱さに意見が一致しました。
宗教観も哲学もほとんどない日本人が、賢く、たくましく、生きるには、そのチカラつけるためにどうしたらいいかだろうかと話しました。
島国だから?
日本の相当に独特な文化風土を前向きに捉えなおすべく、新ためて比較都市社会研究を進めたいと思います。
