働くお母さんへのアンケート調査をしていますが、働く目的を尋ねると、60-70%の回答は、「収入、経済的なこと」をモチベーションに働いています。
「やりがい、社会貢献」や「自分の能力を活かしたい」という回答は2割に届きません。
保育料や教育費、もちろん生活費を考えると、経済的な理由に仕事を辞めたくても辞められないという自由意見はまったく珍しくありません。
70年代から、生活費は当時の3倍、教育費は7倍とも言われる時代。
国公立大学の授業料も高くなったなーーと私が学生の時代と、公立大学の教員をしていた時代のたった20年のタイムラグでさえ、差を感じていました。
所属していた大学で、学生が「授業料が払えない」と休学したり退学する率は年々増えていました。
だって---、お父さんお母さんの給料(額)自体は、変わってないはず。
さらには、銀行に預けていても物価スライドには貯蓄額はついていかない時代。
私の父は、地方公務員(高校教師@長崎市)、母は専業主婦/パート経験も無し(母の言葉を代弁するなら、仕事をしたかったけれど専業主婦へのプレッシャーがあった、、)。
子どもは3人。3人とも大学or大学院までの県外の一人暮らし。年が近かったために、毎月たとえばふたりの子に仕送りしたとして、20~25万の支出(!)。
確かに、極めて質素倹約な父、徹底した公立主義の父、だったとはいえ、県外の大学に子どもを3人も「余裕」で出せたのは、両親いわく「銀行や郵便局にお金を預けていたら、利子でお金はどんどん増えた」から・・・としか思えない。不思議な時代。
時代は本当に変わっています。
我が家には自家用車はなく、持ち家戸建て、外食や旅行はほとんど記憶になく(これは父の嗜好であって、私も母も「超」がつくほど外出思考なのだが、、、)、今思っても、「質素」だったなーと。
周りの友だちも似たような感じだったのはありますが。
【健康で文化的な最低限度の生活】という漫画を読みました。
途中、グッとくるところもありました・・・
事実に極めて近い、生活が困窮しているひとの話。生活保護のこと。ヒトゴトではありません。
十分な収入を得ることがでいない事情は、心身の健康はもちろん、本当にいろいろな事情(過去)が縦横無尽に重なっています。誰でもがいつ何時、困難な状況になるか分からないのだから、「健康で文化的な生活」を送るために、どうしたら社会は応援できるだろうか。
「お金」だけでは解決できない、ひととして「心身の健康」でいることの重要性も痛感します。
安心して相談でいきる人がいる、愛する人がいる、または、好きな趣味で気分転換ができる、、、など。
学歴では幸せになれない。今収入が十分だからといってイコール「幸せ」ではない。
じんせいに、お金だけではない「何か」を各自がはっきり見つけたとき、本当に「生きている」境地に。なる。と思います。。。
