娘が帯広に居た時、パパのお世話をしていた私に、パパが言ったのです

「どうも、ありがとう」
「???」 ( °д°)
ヘっ
「○○ちゃん(←娘)が言えって。」娘の言う事には、素直に成れるのか?娘の手前そういったのか?分かりませんが、一応感謝の言葉を言う事ができました。一歩前進ですね。
それ以来、
「オシッコ
」慌てて瓶を当ててあげるも、失敗・不発

「出ないみたい・・・、片付けて。 スミマセン」と礼儀正しいのです。

ふと、
主人の倒れてからの感情の変遷を振り返ってみた。
恐怖・怯え
↓
拒絶
↓
抵抗・攻撃
↓
受容
↓ ←いまこの辺りと信じたい。受容と感謝(希望的観測・・
)の間感謝(希望的観測です)
言葉を十分に話せないパパですので、果たして正しいかどうが分かりませんが、このブログを始めたころは、抵抗・攻撃の真っ只中だったように思います。丁度発症後5年の頃です。私が騙すのではないか?嘘を言っているのではないか?というような疑いの目で見ていた。頭の回路が正常ではなかった。昨日言った事も忘れてしまい同じ事を詰問する。思い返しても気分が悪くなるほど。賽の河原の石を2~3個積み上げたと思ったら、崩される。そんな途方もなさを感じて暗澹たる想いだった。この人を引っ張って荒涼とした道を一人で歩いていかなけらばいけないのか?と思うと・・・辛いものがあった。
でも、
子供達の為にも、自分の為にも、明るく歩んで行かなければ!
と重い気持ちを振り払いながらの毎日だった。
そんな時、
「貴方が、思ったよりも明るくて良かったわ」と友人達が言ってくれた。
やはり明るく前へ進むしか道は無いのだなと確認できたものだった。誰を恨むわけにも行かないし、置かれた状況を受け入れるしか無い訳だから。主人に対しても、ジョークを言ったり出来るだけ明るく接していた。ムッときても冷蔵庫のドアを開けて【思い】を冷蔵庫の中に吐き出して、ドアを閉める。そうしていま、やっと落ち着いた日々が送れている。
次々と、ああしてこうして、と言われて、『あぁーー!うるさいなぁ!』と思うことは毎日だけれど、言い掛かりを付けられるよりは、何倍も楽。
こうして、これからも私達の毎日は、続いていくのだろうと思います。この事態は、アクシデントで元に戻るというものではなく、人生の一部になったのだから。
明日もリハビリ!がんばろーー!
追伸
無くなってしまったブリッジは、新しいものが昨日出来て、歯医者通いもやっと終わりました!!口が余り開かないので、先生も大変だったと思いますが、シッカリとしたものが入りました。