1年ぶりに会った私の両親も老いには勝てない様で、歩く姿も心もとない印象を持ちました。私たちの両親の事を、すこし残して置きたく思います。



主人の父は、声が大きく矍鑠とした人でした。
戦地には、直接は行かなかったそうです。
兵隊さんを教育をして、戦地に送る仕事をしていたらしい。
声が大きかったので、そういう立場だったと言っていました。
その為、子・孫の教育には、とても関心が深かった。



母は、大正うまれの、気品ある人でした。
私たちの世代とは違い、教育の所為でしょうか、品の有る物腰で
人を優しく包んでくれる様な大きな人でした。
洋裁が得意で、子供たちの洋服もよくこしらえてくれました。
帰省すると、メジャーを持ちながら、子供たちを追いかけて、
ズボンやベスト等を作ってくれました。


主人は、その母に育てられたので、家庭科はいつも5だったそうです。ズボンのすそ上げや、ボタン付け、アイロンかけは自分でやってくれました。物心が付いた時から、ミシンを使っていたそうです。私は、ミシンどころか、裁縫は苦手で、結婚して子供を育てている時に袋物を作る程度カゼでした。







一方、私の両親

父は、母より年齢が下で、21歳で結婚して22歳で私が生まれました。
行商から始めて、米屋を営んでいました。小学校6年生のときに戦争が終わり、中学にも行けなかったそうです。というか、勉強どころか、家族の為に働くしかなかったそうです。
私は、父が若かった事が、嫌でした。短大の卒業式に来てくれた父を下宿のオバサンはお兄さん?と聞いたくらいです。



母は、年上女房なので、あれこれとお口が先行します。私は、長女なので、何につけ「おねえちゃんでしょ?!」と言われることが嫌でした。そんな母も、このところお口がキレを失っていて、少し寂しいです。母の兄弟もここ2年でバタバタと逝ってしまい、96歳の姉と母だけに成りました。先日は、母を姉の所へ連れて行き、久しぶりに会う事が出来ました。姉が、「私より若いんだから、元気でいてよ、二人になっちゃったんだから、あんたが頼りだよ」と言っていました。



子供の頃は、若い両親が重荷でしたが、この年に成っても両親が健在で、主人の介護を優先できるのが、有難いと思うこの頃です。








さて、子供たちですが、
私が居ない時は、どうしても野菜や果物が不足します。
帰ってきた時は、なるべくそういうものを食べさせるように努めています。

家の中を整理して、ごみを分別・・・
どうも、決められた日に出しそびれてしまう様で、いつも溜まっています。
(って、私もそうですケドね)


帰ってくると、
「家の中がスッキリだね」「野菜不足だったから、グリーンのものは嬉しい」
と言ってくれます。
今の時代は、空腹を満たす事は、簡単にできますが、食事は、空腹が満たされる+αの部分も大切ですからね。
主人の介護に専念すれば良い事なのかもしれませんが、子供たちの心と体の健康も大切です。
そして、私自身の心と体のリカバリーも大切。長ーーい介護生活ですから、ボチボチと・・・です。