帰省した家族の談笑は、内輪ネタすぎるので観光メインで進めていきます。


久しぶりに原爆ドーム付近に行きました。


祖父母も父(当時歩ける程度)も被爆者ですが、特に祖母からは「辛かったから思い出したくない」とあまり細かいことを聞いたことがありません。

※祖父は早くに亡くなっています。

たくさんの「助けて!」という言葉を振り払って、小さな子どもを連れて逃げるしかなかったということしか知りません。


父が小さい頃は、食用カエルを捕まえるとお金がもらえたようで、遊びつつ捕まえていたらしいです。

食糧難を経験したせいで、「食い尽くし系男子」先駆けです。今食べておかないと・・・という感じで、あればあるだけ、目にしたら瞬間で真っ先に食べてしまいます。

子どもより先に食べ尽くすので、母に「子どものためにという気持ちはないのか」と、よく怒られていました。


祖父の友人だった医師は、患者が亡くなるたび辛くて、よく酒に誘いに来ていたと、叔母が言っていました。あの時代に、多くの命となす術のなさ(放射能)というのは、どのくらいの苦労があったことでしょう。

・・・医者という職業は、辛く、苦しい職業なのかもしれない。


10歳の時、本当に辛いことというのは、あまり自分から話したくないものなのだと知りました。

本当に辛いこと、言えますか?

時代に限らず、言えないのではないのかと思います。

今の自分を「それも人生」と受け止められるようになってから、そっと支える側になれる程度なのだと思います。


私は、昔から怖いのが苦手なので、博物館には行きませんでした。


こちらは、地球平和監視時計です。

広島への原爆投下からの日数

最後の核実験からの日数

が表示されています。

北朝鮮やアメリカ等の核実験でリセットされています。※上手く撮れていませんでした。




海外のかたのツアーも多く見かけました。

途中、原爆ドームを見ながら、サムライ ウォーリアという言葉を耳にしました。

原爆ドームで出てくる単語なのかな。

武士、か・・・

近くに広島城もあるし。

いや、大和魂的なのを言いたいのかな。


その後は広島城へ。