色々な人の発信と知恵と。
写真は、END展。
どんなふうに亡くなりたいですか
老いとは
大学入学早々、3泊4日のオリエンテーションで、人生を考える機会があった
当時は、少し面倒だと思っていたけれど・・・
自立とは&よりよく生きていくには・・・
↑やけに、ざっくりだな、とツッコミつつ、私の答えは決まっていた。
ワイワイ、ガヤガヤしつつ、話し合いがあり、
「この世界にうまく順応することだ」
そう発表した後、チームが分かれても、わざわざ私を探し出し、数名が声をかけてくれた。
「私もそう思うよ」とか。
「子どもとか大人とかじゃないよね」とか。
このミーティングにも、忘れられないことがあって、私は、生きていくことについて、ある程度、答えを知っていた。そして、答えを持っていた。
好きなものは、とことん追うし、ゲームのように一日を楽しみ、勉強も日常に使うギャグでしかなかった。将来したい仕事も一旦叶えた。
願えば叶う。ただ一心に。愚直に邁進。
夢が叶い、満足すれば、「スクラップ アンド ビルド」。
また、新たな夢を追う。
たくさんの面白さと、たくさんの裏表、たくさんの駆け引き。
けれど、自分の願いが壊れることについては、とても弱かったのだと思う。
私は、主人がとても好きだった。
とんちとか、海外で過ごした常識に囚われないところとか、笑顔で相手の矛盾を口にし、気がつかせることとか。
彼がいなくなるなんて・・・高校生の時から、ずっと一緒だったのに。
自分が壊れても、叶えたいことは簡単に決心できるのに。
私は彼のためというか、自分のため、臓器移植を考え、医師に交渉し、なんとかその権威の方に繋がることができた。
移植に耐えうるかの検査。臓器のスペック。相手をも、自分をも、移植で身体を維持できるか。
痛みなんて、なんてことない。
何度か死にそうになったにも関わらず、元々節制した生活で、パーツは健康であった。
手術に耐えられる体であるかの一次検査を通過し、2次検査は臓器の体積測定や、アメリカで私のパーツの解析があった。
しかし、彼が亡くなった、3日後に二次検査が良好である報告が来たのである。
ちょうど、子どもは高校受験時、私は検査に時間を費やし、最後の始まりとわかってもおかしくないのに、会えなくなるリスクでなく、会える日が続く、移植のメリットに賭けてしまった。
私には、もう、ここ数年、何かのために立ち上がる気力なんてない。全てが惰性だ。
出来ることで生きている。
そして、私は、彼を知るほとんどの人に、「彼がこの世にいない」ことをいえないでいる。彼の人となりがわからない人には、少し話せるくらい。
スーパーエゴの思想で、友人が辛いとおもうのではなく、私が辛いから。
その変わらない惰性のままの数年を過ごし、たまに周りを心配させないようにはしゃぎ、たまたま「END展」を見つけたのだ。
次回は、すごく見せたいものがあって。
私が求めていたものを。







