私が死ぬ時を選ぶ?

きっと、病気がわかったら、死後に悲しんでくれる、一握りの人に、癒せるスイッチを残していきたいと思っている。


そのために、大いに学び、大いに笑え!



不調があったら、周りに迷惑をかけないために、どう世界からフェードアウトできるか、医師と話し合う準備をしている。(まだ、普通の健康)
病名が付いたら、未来の方向はほぼ決まる。
その中で出来ることを早めに知る方がいい。
諦める地点(特に痛み)を自分で選択できたほうがいい。

そして、子どもに言った。
予想外の急激のことで、死期が虚な時(気を失うとか、体液系が出るとか、身体が少し冷たく感じるくらい残っている)で救急車を呼んでも、「特別な処置は希望していない。これは寿命なんだと納得している。」と、伝えてほしいと。

また、「体調が悪い時は、素直に伝えるが、心配するな。私は、寿命に逆らうことなく、寿命までを利用する」と。

もし、病気が見つかった時は、医師にもお願いしたいと思っている、身内には、「誰もが死に、誰もが通る道であり、状況が違えど、過去に多く似たように亡くなっているのだ」と説明してやってくれ。気に病むといけないから、と。
↑それが本当にできるか、病気になったら病院に確認に行く予定なんだけど。もしもの時は、死にそうな状態というものは確認しておいた方がいいな。


お墓、いらないや・・・

とはいっても、「生」にこだわらない私が、「生」で腐ったら迷惑をかけるので、焼いてもらって・・・


昔からの私の奇行をご存知のかたは、遺骨をロケットで打ち上げ、大気圏で燃え尽きる「宇宙葬」を希望していたのを思い出していることと思う。


人は、漠然と何かを続ける、今のままが続くことを大切にしている。

偉い、偉い、・・・

本当に大切なのは終える時、終わる時。

本当は、楽しむこと、愛するものを理解して、何かを始め、続けることに価値があることを。


そして、いつ終わっても後悔がないと、自分をうまく騙すこと。


好きな人の

「あなたがいてくれてよかった」、最高!


私は、毎日、これを求めている。



ここまでのことを考えて、私は「END展」へ向かう。

私が考える以上のことが見つかるのか、楽しみでもあり、不安でもある。過去(古墳くらいの時)と現在、未来の「死」の捉え方くらい期待し(←相変わらず、求めるスケールは、一般とかけ離れる)、興味がある。


私は、もっと人生を楽しむことができるのか?


これは、あくまで、生きた実績で考えたものです。若い人が亡くなるには、周りの悲しみが深くなりすぎるので、望むように生きてほしい!