【第二回 東日本大震災復興対策ミーティング】
4/17(日)実施した第二回東日本大震災復興対策ミーティングで出た意見メモ(前半)です。
■出席:17名 ■場所:Come on UP久が原
<アジェンダ>
1.今回の集りに期待すること、今後情報共有していきたいこと2.現地の状況(石巻、南三陸、気仙沼、南相馬、いわき市)
a)被災地からの視点
b)現地での取材メディア視点
c)ボランティアとして現地入りした方からの視点
3.具体的な進め方(ワーキンググループ)
A 海外からの支援の手と被災地各地とのマッチングについて
B 現地入りしてのボランティアの心得について
C 正しい情報共有の仕方について
4.今後の連携・進め方について
5.ボランティア団体や、活動の告知
<メモ>
1.今回の集りに期待すること、情報共有したいこと~
・人的支援として出来ること
・何か出来ることがあるか確認したい
・募金以外に東京にいる自分にできることを探したい
・自分の持っている情報を発信したい
・みなさんがどのように思っているか知りたい
・東北と何かをして繋がれたらいい
・総合的に何かできたら
2. 現地の状況
8日間 3/17日から第1陣、4/1日から第2陣、4/5、6日
【石巻町】
・電気の復旧は地域によってまちまち
・建て方によっても時期・構造 水の復旧具合も変わってくる
・ピースボートで石巻の学校でキャンプ
・炊き出し、家の中の泥だし、バザーと呼ばれる東京からの物品配布ニーズに合わせて避難所で配布
・泥かきがメインに。家の前にとりあえず市の回収業者がくる
・ゴミ処理場に溜めているがすぐに埋まってしまうだろうと言われている
・家の外に出すだけだと、雨が降ったり乾いたときに2次被害が起こるので、帰る日に泥の上に石灰をかけて消毒する
・川の中流部分は壊滅的でもまだイメージしていたよりは残っている
【女川町】
・海沿いの町はもっと状況が厳しい
・ボランティアはニーズに合わせていかないと邪魔になる
・ボラセンとやりとりをして必要なところに必要な人数を送り込む
・ニーズは毎日変わっていく。今日必要なものが2日後に手元に届く
・川沿いには船が家屋に突っ込んでいる光景がよくある
・5センチから10センチの泥をかきだす
・6チーム30人 50台分入る駐車場をクリーンアップ
・誰かの家にあったものだし、誰かのものだったから瓦礫をごみとは言ってはいけない
・アルバムや手帳、名刺などはできるだけ拾い上げて作業している
・誰かがなくなった車などあり丁寧な作業を心掛けていた
・店に入ってのどろかき
・2,3階は住めているから1階のどろかきをお願いしている
・人の命に関るサイレンは本当にこわい、震えがとまらないくらい
・高台でも念のため避難した
・世界各地から物資が届いて、仕分けして配布の繰り返し
・山手、中流市内と海沿いで住んでた位置で復興に対する意識が違う
【山】→自分たちの生活をとりもどす、受け入れる 穏やかに時が来るのを待っている
【中】→2,3階に住んでいるのもある 復興に対して前向き 早くもとに戻したい
【海】→何ものこらなかったから、何もやる気がおきない
・入って見て、話して触れ合うことでわかることがいっぱいある
・復興して笑っている顔が見たいと思った
・1日でも1軒でもどろかきは可能
・衣食住は自分の分は全部自分で用意していく(テント、水6-7リットル、どろかきの服装)シャベルはピースボートが用意してくれる
<取材報告>
【南三陸】
・2週間目の金曜日に南三陸へ
・泥は片付くけど、大きいものは産業廃棄物に、でもすぐにいっぱいになる
・ゴミ置き場も火葬場も足りないので、支援を全国に依頼している
・ゴミを分別すべきだが、人手が足りない
【南相馬】 原発20km~30km圏内
・レギュレーションの装置は見に付けて、一定の値になったら作業をやめる予定だった
・その日の放射能量は0.03ミリシーベルト。 飛行機に乗ってカナダから日本にくるときの10分の1程度。
・南相馬の病院は一度閉じたが、お医者さんたちが自分たちのできることは診療だということで帰ってきてた
・市長さんはすぐに取材に応じてくれた。
日本のメディアは実際には来ない 電話で写真とかの注文をしてくるだけ。
実際にきたのは、フランス、市長友人の政党の取材、そして今回行ったカナダ新聞社が3番目。
本当の状況を伝えようとしているメディアは少ない。
・広島の原発被害を請けたシスターに福島の原発を持つのは間違いだったかを聞いた
「結果的には間違いだった。
しかし、今まで原発のおかげで便利な生活が発展したのも事実。
原発を間違いだとするなら我々は生き方を変えないといけない。」
・福島のボランティアは圧倒的に少ない
・行く前までは不安があったが、実際行ってみたら生活している人たちがいた。
・もし危ないのなら強制退避区域にするべき。
そうでもしなければ市の役員、消防士、医者など責任あるひとたちは逃げない。
中途半端なエリアをつくるべきではない。
もし、大丈夫なのならそこでの生活が成り立つように政府は軍隊使ってでも物資を供給するべき。
・20キロ、30キロはボランティアもほとんど来ない
・「屋内退避区域は外にでてもいいけど用事がないなら中にいて下さい」という命令だけど、みんな状況がよくわからない人が多い
【いわき】
・防災モデル病院
不安は正直あるが、自分たちはそういうところで働いている責任がある
自分たちがここを離れるときは患者さんの最後の1人に付き添うとき
医療道具も医者もいるのに、電気や水道を直せる人が逃げてしまったため大変
・大丈夫なのに、風評で更に被害が拡大している
・お医者さんは原発がメルトダウンしたとしても
50キロ離れているいわきが即危険ということは理論的にないと言い切った
・それまでメディアは1人もこなかった。
・家に帰っても水も電気もない<先週土日で石巻、女川町に行ってきた方の報告>
・本当に壊滅的なところ
・完全に個人で行って、現地のボラセンに行って、石巻で泥出しをする
・石巻はアクセスがいいから人は結構来ている(900人くらい)来ていた
・女川町は人が足りないと聞いて車で移動したが、何もない状況
・家が偶然残っている人もいた
・ライフライン全部なくても家があるからそこで暮らしていた
・どろがすごくて大きな市場がまるごと流されたせいで魚が町中に撒き散らされ、腐った魚のにおいがすごい
・今残っている家から少し離れたところにどろや魚を持って行ってほしい
・水は足りていて物資は駅にNPO団体が持ってきてくれている
・これからの季節、病気とかも心配している
・生ものは早く処分した方がいいけれどどこに持って行くべきかもわからない
・燃やしてどうにかなるレベルの量じゃない
・車中泊だった
・団体に入ってやるのが一番いいのだろうが、仕事をしているとタイミング的にも難しい部分がある
・団体に参加するには平日の説明会に出なければいけない場合が多い
・現地に個人でいきたいと連絡したら来れば何かしらあるから是非来てくれといわれた
<意見、コメント>
・ヘルプに行って2次災害にあってはいけない
・今は宮城とか岩手にヘルプに行く傾向、システムが整ったら福島も考えたいという感じ
・コミュニティが避難所でできていて個人単位ではなく村単位でないと動かない
・海外メディアの論調は震災後3週間目まではPray for Japanなど同情的だったが、
それ以降は原発のニュースのみとなり、有害物質を垂れ流すとんでもない国であるという論調に変った。
・現地にいくとき安全面の確保はどの程度必要か。泊まる場所などの安全面は?
【個人の場合】→行くと必ずボラセンに情報を登録、災害保険にも入る
【ピースボートの場合】→安全がある程度保証されている場所に泊まった。リーダーがその場で判断してみんなで動いていた。基本的に団体は団体として動いていた
【JCの場合】→仙台市内のホテルに泊まったが、お湯は出なかった。行動は4人一組で、集らない場合は外出しない。
・自分で責任を取るという覚悟がなければ行くべきではないが、震度8は東京でも起こる可能性はある
以上、【前半~情報共有~】です。
平岡・林
