バブルが崩壊した1991年に私は生まれた。
今は社会人2年目の歳。いわゆる好景気を知らない世代だ。

私がまだよちよち歩きだった頃のことは
もうあまり覚えてもいないけれど
希望ヶ丘という
長い坂道に商店街が一本緩やかに続く町に住んでいた。


希望ヶ丘は昭和が残った独特な雰囲気の町で
お肉屋さんからはコロッケの匂いが、
靴屋さんからは革の香りがしたのを今でも覚えている。


そこに成瀬家は家族3人で暮らしていた。
狭い2LDKのアパートではあるものの、
若い夫婦と赤ん坊が住む分には充分だった。


父は5人兄弟の長男で
祖父と祖母が経営している小さな町工場で
将来の跡取りと期待をされながら働いていた。

車の部品を作るガテン系な仕事に対して趣味はピアノ。
これがなかなか上手く、今でもショパンを愛している。

何事もきっちりこなし、繊細な面を持つ父。
一方の母は九州でおおらかに育った天然ちゃん。
(もっとも自分の母が天然だということに気づいたのはもっと後のことである。)
母も事務として同じく祖父の会社の手伝いをしていた。

ひとりっ子の私は母に手を引かれながら
毎日祖父の会社に連れられては母の勤務時間が終わるのを待っていた。

両親の職場は
工場とはいえ、事務所の中にいたから危なくはなかったけれど、
タバコ臭く、居心地が悪くなによりとっても退屈な場所だった。