Comedy of Life -2ページ目

取り扱い説明書

出張準備中のあやです・・・
ただ、会社が私に宛がったノートはデスクトップ仕様の物でむっちゃ重たいのだ。(これ、本当に中国まで運ぶの?)
月曜日の早朝より出発のため、会社から重たいノートを担いで持ち帰った。(「こんな重たいモノ、体を悪くする」と母もお怒りの様子)
同じく、会社で支給してくれないので自分でICレコーダーとデジタルカメラを調達するため、電気量販店へ。
サイズ、トリプル・フラッシュ、マクロが賢く、小さいモノをと思ったら、カシオのEXILIM EX-Z600を買う事に。今回は一眼レフを持って行く事が出来ないので、デジカメとHolga?にしようか考え中。(どれだけ自由な時間が出来るかは疑問だけどね)
と言う訳で、出張の荷作りをしないとダメなのに、取説がド~ンとパソコンの前にタワーになっているのだ。

しかも、新たに相方から電話をプレゼントされたので、その取説も増えて…漢字がいっぱい!(><)基本的に取説とか苦手な私。イヤだよ~

仕事をしながら、ミクシイに勤しむ

え~、輸入して来た商品に相次ぐ不良品が見つかり、
資材部では無いが・・・本日は1個5秒のペースにて全品検品をしております。(1箱500個入りが24箱入荷しております。)

来週はいないので、バレンタインの義理チョコはパス出来るかな?と思っていたが、新しい職場で色々、自由にさせて貰っているので、ゴマ擂り代わりにチョコは最適なのだ。営業部隊と何時も私が噛み付いている資材部のみんなに計15個のチョコを仕入れて配る。(バレンタインで男性だけが優遇されるのはダメ!)

え?本命は?う~ん、中国だからパスしたかったのだが・・・
今回は市販でも可と言う事で・・・ギャグチョコや美味チョコなど色々、詰め合わせて送る事にした。

たぶん、バレンタインってチョコの味とかより、1つのチョコを選ぶまたは作るのにどれだけの時間や気持ちを持って送るかだと思う私。

ただ、それを横目に私の時間と労力を無視して、「私もあやと同じチョコ買う・・・だって、そうしたらはずれないから~」と便乗して来た、事務嬢にぶち切れ!(そんな気持ちだったら、送らない方がマシなのでは?と大人気無い事を言ってしまったのであった)

反省、反省…

こんな日に限って・・・

今日は午後から雪と天気予報は言っていたので、超カジュアルな装いにて出勤。対外はロッカーにはスーツが一着入れてあるのだが、昨日、クリーニングのため、持ち帰ったのだった。

そんな風に出社すると・・・
「午後から取引先で工場見学と打ち合わせするから・・・」
え?うそ!?(ガーン!)
そう、今朝は厚底の安全ブーツ、迷彩柄のカーゴパンツ、赤のハイネックセーター、黒のボンバージャケット・・・
(内勤中はダサダサの事務制服なのでww)

さて、どうしたモノでしょうか・・・
運良く、ロッカーにはノースリーブのニットが1枚、カシミアのショール、ヒールを発見!!
制服のパンツにニットとショールを合わせて何とか間に合わせたのだったが・・・(外は雪~~)

営業の男子軍はちゃんとダサピンクのブルゾンがあるのに・・・

さすがに取引先へはあからさまに「事務員」の服装では行ける訳も無く・・・

すいません、一応、仕事ですから・・・

来週の月曜日から中国、深川への出張。
そのため、来週中の仕事の指示書を作りながら、
プレゼンと会議の準備をする。(プレゼンをするのは私らしい)
もちろん、出張手配も一手に任されてしまってます。
移動表、予定表、会議のアンチョコなどを社長や同行者に配る。

それを見て、統括マネージャーの一言にため息、一つ
「あやくん、女の子は香港で買い物したいと思うけど~程々に頼むよ~ww」
(すいません、当社に給料を値切られたので、買い物どころではありません!てか、香港や深川で何買うのよ?しかも、おっさん3人も連れて歩くのに!!)
「あやくん~!一応、同期のK女のお土産任せるからね~」
(任せるな!!しかも、K女と趣味合わないから何を買えと言うのよ!!)

お土産や買い物って・・・一応、仕事しに行くのでは?
(と言いながら、マカオの友達は深川まで遊びにくるって言ってたけどね~ww)

ぺティ・フリーダン

2006年2月4日
米女性運動指導者のベティ・フリーダンがうっ血性心不全のためワシントンの自宅で死去。85歳だったそうだ。
米最大の女性団体、全米女性機構(NOW=National Organization for Women)を1966年に創設し、70年まで初代会長を務めた。

 米イリノイ州ピオリア生まれ。ジャーナリストとして活動後、63年に出版、ベストセラーとなった「新しい女性の創造」は、女性が結婚して出産し、主婦として生きるだけではなく、個人として家庭外でも生きがいを持つよう訴え、女性運動の基礎をつくったとされる。〔共同〕

私は彼女の痕跡を知ったのは大学に入学して2年目の事だった。ワシントンDCと言う、場所柄、毎日の様に街ではデモやラリーが行われていた。日本のヌクヌクした温室育ちの私にとって、女性運動とは70年代にブラが燃やされていた事ぐらいしか知らなかった。

周りのざわめきに少しずつ耳を傾け始め、新たな自我に目覚めた様な気がする。その発端がNOWのBenefit Luncheonだった。先輩にチケットを頂き、「国際舞台にて独立した女性達」と言う、お堅いタイトル. みんなゴッツイおばちゃん達が話すのかと思い気や、色んな女性実業家達が今までの失敗話やビジネスの難しさを話してくれた。その後、何人かのスピーカーとも個人的に話す機会も出来、インターンシップも頂いたのだった。

負けず嫌いな私にとって、少し男の子まさりな所も有ったのだが、「私が私らしくある事、それが一番女性らしいのだ」と云う事を彼女らと触れ合って知った。

NOWはけして、レズビアンの団体ではありません。(こんな誤解を多く聞くので)

ただ、ベティや多くの女性達が今のアメリカの女性の考えの石杖になったのは間違いないと思う。

ベティ・フリーダン、心よりご冥福をお祈りします。