「鶴人」ご来場の皆さま、まことにありがとうございました。
だいぶ経ってるんですが、
千秋楽後に飲んでた大阪でスマホを落とし、
行方不明のまま東京に帰らなくては行けなくて、
その後、遠隔で(今やなかなか見つからない公衆電話で)
必死に探索し、
気が気じゃない一週間を過ごしまして、
ようやく手元に帰ってきて
ようやく通信手段が復活し、総括できます、「鶴人」
気付けば配信が本日まで!
いつもにも増して
絶対見ていただきたい出来の今作です。
創作裏話を少し。
今までは稽古場ブログってのがあり、
公演の最後に僕が色々書いてたのですが
誰が見てるんだ?ってことで廃止されてます。
ということで
今年年始の挨拶すら書いてないこのブログコーナーで
(今年は正月から「かむやらい」佳境だったのでした!)
何か書いて、一人でも配信増えてくれれば!
という思いで殴り書きスタート。
毎ステージのビフォアートークでも
いろいろ言いましたが
今作のきっかけは
実は聖徳太子です。
かつて一万円札にもなった聖徳太子は実在なのか、
実在としてもかなり盛られているのでは?
聖徳太子の事績は
かなり後世の長屋王の事績がモデルになっているのでは?
というポイントです。
詳しくは省きますが
まさに「鶴人」の時代
唐に対して、歴史が古くからあってまともな国であるというアピールに王権は必死でした。
朝鮮半島情勢でも
中大兄皇子時代に白村江で大敗して以来
日本は常に侵略の危機にさらされていて
大陸の仏教先進国に対して
うちも仏教先進国です、それなりに認めてくださいと言うアピールをし続けていました。
そんな中で聖徳太子は
だいぶ前から仏教をすげえマスターしたスーパー指導者がうちにはいましたっていう盛られたヒーローなのです。
だから実際よりも最近になって実現したことを
何年も前に聖徳太子っていう人がやっててねっていう話になった
こういう粉飾をしだした時代がまさに「鶴人」の時代
っていうか不比等の時代です。
ここからさほど詳しくなかった長屋王に視点が行きました。
1980年代
奈良にデパートを作るために掘り返した市街地が
平城京内長屋王邸と発覚し、
そこから出土した木簡の中に
鶴用の餌である米を納入したという記録があったということ
長屋王が鶴を飼っていて、
餌に米をやっていたという衝撃情報でした。
そこから鶴にまつわるファンタジーと
長屋王一家惨殺という事件を融合させた構想が生まれます。
長屋王の変を説明するには
かなりの幅で、
当時の大王家の家系問題を前提にしないといけません。
結果的に
「鶴人」は持統帝からの話になりましたが
本来この話は天武帝からの話なのです、
もっといえば天智帝から。
もっといえば蘇我馬子から。
もっといえば…
キリがない。
歴史は終わりのない長い物語。
持統帝ウノノサララの母は蘇我氏。(父は天智大王)
彼女が我が子草壁皇子可愛さで追い詰め消していった皇子たちは
自分の妹の子たちです。(天智は弟天武オオアマに娘三人を嫁がせた)
元明帝アへの母も蘇我氏です。(持統の母とは違う)
つまり
「鶴人」に出てくる王族の女たちは、
みんな蘇我氏の女なんです。
乙巳の変(かつての大化の改新)
で蘇我入鹿が中大兄に殺されて蘇我氏は終わったと思われがちですが
中大兄、藤原鎌足の仲間の蘇我氏もいました。
この「蘇我の女」目線でこの時代を書いている小説もあります。
蘇我の血を守り続ける物語です。
「鶴人」はそこはあまり取り上げていません。
色々と研究していく中で
一番フックになったのは
藤原宮子でした。
このフックがなければ
もっと長屋王中心の物語になっていたでしょう。
藤原宮子に関しては
xでも投稿がありましたが
梅原猛先生の
「海人と天皇」という物凄い名著があります。
見た方々の感想で
鶴のフィクションと平城京の歴史の融合がよかったという声はいっぱいいただきました。
鶴であると設定した「みやこ」
鶴だってことはもちろんフィクションですが
藤原宮子の顛末は、ほぼほぼ歴史とされてるものです。
この藤原宮子について深堀して平城京時代を論じているのが
「海人と天皇」です。
「みやこ」はさすがに鶴ではないけれども
どこの誰だかわからない美女でした。
恐らくそのことは世間には露見していたんでしょう。
それを不比等の娘だと偽り、聖武帝出産後三十六年、
玄昉と対面するまで錯乱ということにして権力の力で隠された。
この「みやこ」のルーツを梅原猛先生が明らかにしています。
彼女は紀州和歌山の海人(漁師)の村の娘でした。
髪が長かった。
当時の美人の尺度として髪が長いのはポイント高いのです。
髪長姫と地元には伝わります。
紀州の官吏が出世を目論んで宮に連れて行ったそうです。
それが文武帝の目にとまり
すかさず不比等が己の娘と偽った。
地元の伝説では
鳥がみやこの長い髪の毛を宮に運んで木にかけた。
その毛を文武帝が見初めたとも言います。
その鳥は鶴かもしれません。
後にみやこを妻とした文武帝が
紀州のとある寺をなぜか訪問した記録があります。
やさしい文武帝は
愛する妻の実家を見たかったのかもしれません。
この、藤原宮子の実家
紀州の寺というのがあの「道成寺」なのです!
「道成寺」は能や歌舞伎で何度も出てくる
安珍と清姫の伝説(カムカムだとクママークに出てきます)
その話のずっと前に
髪長姫みやこの源流として
物語の種を孕んでいるのです。
驚いたことに
和歌山、紀州方面のお客様はみんなこのことを当然のように知ってました。
髪長姫が出てくるとは思わなかった!
なんて言われました。
こんな感じのことが今作にはいっぱいあります。
書ききれないけどもう一つ。
元正天皇ヒダカのこと。
伴侶を持たぬまま即位し。
即位してしまうともう
旦那は持てない。
今もよく話題にのぼる女系天皇問題って
ここなんです。
道鏡に肩入れした孝謙帝アベもそうだけど
女はどこの変な男に惚れるかもしれない。
その男が国のトップに座る危険
そういう偏見まるだしの文脈で語られる。
だから即位後結婚できない前提。
それに付随して
もし伴侶を持ったとしても
子供が生まれなかったら
どうしようもないっていう目線もあります。
(男なら妾を増やせばいいっていう解決思考。男なら相手がどういう身分であっても子が生まれれば跡継ぎ候補。「ゲームオブスローンズ」とか見るとすごいわかる)
「鶴人」の時代の女帝たちの苦悩と狂いは、
もろに現代のわれわれの社会に繋がっています。
継嗣が優先される価値の社会の野蛮さが個人の自由にとって耐えがたい、
しかし物理的に抗うには言葉の選択がとても難しいという、そういう地点に
現代はやっとたどり着きつつあるのかもしれない。
そんな中で
元正帝の様々な政治的な事績
色々あるんです。
国家として進歩した時期。
歴史的には結局不比等ら藤原氏がやったんでしょ?
ってなるわけですが、
ひとつ
大きく絶対出てくるのが
養老の滝のエピソードなんです。
はじめは何か、それは別にまあ、
一つの旅の記録としてまあいいよってスルーしてたんですが、
しつこく出てくる。
養老の滝がいいと言った元正帝のことを
ここまで執念をもって伝えようとしている。
この人はまるで、養老の滝のよさを伝える為だけに現れた人のようです。
貧しい木こりの息子が老いた親父に好きな酒を存分に飲ませたかった
養老の滝の水を酒だと飲ませたら若返った
それだけの話です。
これで元正帝は感極まって
年号を「養老」にしたんですよ。
絶対いい人です。心の美しい人です。
こういう人が
その後、大仏や遷都を巡る、
汚く狂った掃き溜めのようなおかしな政の中で
最後まで無力な目撃者となり続けた。
こういう人がいたんだよって話です。
こういう人が見ていたんだよって話。
そういう物語を作家として作らなければと思いました。
「鶴人」は老いて朽ちる話です。
最期はみんな杖を持ってる老人です。
「暮園」は滅びゆくさだめにして
「クレーン」は鶴です。
そして元正帝の余韻が謎多き道鏡騒動における
元正帝と同じ立場の孝謙帝(アベ)に引き継がれる夢をみました。
県犬養三千代(橘三千代)の孫に
橘コナカチっていう女性がいます。
聖武帝の妻の一人です。
登場させたかったけど時間の関係上無理でした。
この人は孝謙帝の傍にあって
長屋王の変のあとのことを
地味ですが
気を遣って処理したという痕跡があります。
闇の時代にこそ
その闇を開こうとした人々の細い光の筋が残る。
「それがたとえほんの一滴に過ぎなくとも、清廉の滝より落つる水を零すわけにはまいりません」
歴史を振り返る視点はそれがすべてです。
演劇を創る視点もそれがすべてです。
かつて祖国ユーゴで内乱を経験し、
一時期は日本代表のサッカー監督を務めたオシムさんの言葉が好きです。
「みんなで水を運ぶ」
水を運んでいくんだ‼
そんな思いで
奈良東大寺の「お水取り」のように
炎の中、水を運ぶ儀式
あれは日本海から奈良に水を運ぶ儀式なんです。
そんな風に今後も演劇を創り続けていきたいと思います。
今年は
「かむやらい」「鶴人」の二本
そして「しめんげき」
ありがとうございました。
来年もカムカムミニキーナを
よろしくお願いします。