皆様、お待たせしております。

 

次回公演予定の

「猿女のリレー」

につきまして、

依然として開幕できるという判断を下せる状況になく、

発売を延期させていただいております。

 

六月には稽古を開始しないと間に合いません。

六月に稽古ができる状態になるのか、

その見極めで判断することになると思います。

 

今後、我々のような規模の演劇が、

どのように稽古してどのように本番を迎えなくてはいけないのか。

 

その点において、

カムカムの演劇の作り方において、

どこまで変容が可能なのか。

 

僕らは考え続けています。

 

しかしこれは、

僕らの考えだけで決着する問題でもありません。

 

自分たちの劇団の事情もさることながら、

 

そして個々の表現者としての立位置とは何か?

というような問題もさることながら、

 

当然のことですが、

小劇場や演劇全体の社会的な在り方が問われることでもあり、

 

自分達の行動が自分達だけの都合の範囲にはおさまらないわけです。

 

演劇の再始動については、

個々が各々のアイデアで先駆けしていくのではなく、

慎重に足並みを揃えていかなくてはいけないのではないかと思います。

 

どういう形でなら社会的に可能とされるのか。

それを考える上で、ある程度の共通基準が必要ではないかと。

 

うちは特に、

二十人以上が休みなく常に動き回る芝居作りが基本でしたので、

問題は稽古ですね。

 

本番はある程度、

お客様とのディスタンスや消毒換気の基準が

三月に何となくできたような気もします。

韓国の例なんかもあります。

 

ただ稽古をどう考えるのかが難しい。

 

検査キットが稽古場にある形くらいしか今は思いつかないです。

 

今の政府の実力で

果たしてそんな風なところが解決する所まで進んでいくのかどうか。

 

うちはzoom稽古というのは難しいですが、

それでも、そこに適応していくしかないのかもしれない。

 

悩ましい。

 

悩まし忙し。

 

 

 

 

どうもそういう気にならなくて

 

ツイッターとかめっきり書くこと減ったので、

 

何か発信をとの声がいくつかあり、

 

同調して久々にブログを書いてみました。

 

 

 

人の声に人が動かされてしまう危険もありつつ、

 

人の声が人を動かすっていう事実があることも大事です。

 

 

 

 

以下、まあどうでもよい長い話。

 

 

 

今は何と言いますか、

 

リーダーとして何人か率いて登山してるような感じに似ています。

 

一緒に行った人はわかるんですが、

 

僕は登山の時はかなり無口で、

 

必要以上なことをほとんどしゃべらない。

 

軽口も言わないし、滅多に笑わない。

 

迷わないように道と地図に集中し、

 

天候の変化と経過時間に集中し、

 

自分とメンバーの精神と体力の状態に集中し、

 

とにかく

 

緊張が途切れない状態を維持して、

 

目的地に向かって歩き続けます。

 

いかに綺麗な景色にも見とれてはいけない。

 

一息はついても、

 

油断してはいけない。

 

そして、ただただ

 

前へ進みます。

 

「安全に」

目的地に辿り着くまで。

 

 

 

 

一度、清水宏さんのライブでチャレンジドキュメントシリーズに取り上げていただき、

(一緒に登りました)

 

そういう面をネタにしてもらいました。

 

せっかく着いた頂上で一人仏頂面して

感動にひたっている皆に出発を急かす僕に

 

「頂上がうれしくないなら、おまえの登山はいつが楽しいんだ?」

と問われて

 

確か、

「下山した時です」

 

と答えたような気がします。

 

「それ何が面白いんだ!」

 

と映像でつっこまれてましたが、

 

確かに変だな。

 

 

 

 

その登山もしばらく行ってません。

 

でも、

 

そんな感触のする毎日です。

 

ちょっとでも油断すると迷い道や悪天候に突入しそうで。

 

ずっと部屋にいて、

 

ずっと休んで暇なようで、

 

一切休んでなくて、暇でもない。

 

 

 

 

本当にここから舞台で表現をし続けるには

針に糸を通すみたいな道を見誤らずにいかなくてはいけないのかも。

そんな心配をしてしまうのは、

最悪の事態を考える登山のクセかもしれませんが。

 

とは言いつつ、

 

その針の糸道がないとは思っていないから、

日々、進み続けているわけでもあります。

 

 

202057

 

*このひとつ前のブログは224日。29日開幕の古事語り部座「郡山ラプソディ」を直前にアツくお薦めする長文でした。そのブログを書いた翌日に首相があれこれ言いだし、学校が休校になり、お客さんを入れての本番ができないということになり、結果この作品は映像収録用の本番を一回やって終わりました。あの辺りから始まって、激化して、現在進行中。

 

 

 

昨日も今日も長時間の稽古。

 

暖房のない部屋で裸足同然の稽古は心底体が冷える。

 

それでも

 

熱気に満ちた仕上げの時間を終えた。

 

 

明日が最終稽古。

 

いよいよ稽古あと一回か。

 

でなくて、

 

ゲネ本番数えて

 

あと四回しかこの芝居を生きられないのか、と、

 

そんな貴重な時間帯を一同迎えております。

 

 

 

このご時世、

 

公式サイドは宣伝も自粛に追い込まれる。

 

やむをえない。

 

 

 

でも

 

僕は本当に一人でも多く人と

 

この芝居を共有したいので、

 

こうして思いっきり宣伝します。

 

 

 

 

政治の愚に文化は負けない。

 

政治、社会の愚を変えうるのは文化ですから。

 

 

入場料千円ですよ。

 

その十倍とってもいい価値がありますよ。

 

 

そして

 

千円の市民劇と言っても、

 

「古事語り部座」の作品は、

 

サキタハヂメさんバンドによるオリジナル楽曲生演奏です。

 

生バンドミュージカルなのです。

 

特に

 

「郡山ラプソディ」は

 

東京の商業演劇でもなかなか実現不可能な贅沢バンド編成です。

 

 

 

 

 

単なる市民劇を越えて、

 

我々は大和郡山名物を目指しています。

 

名物っていうからには、

 

我々のライバルは

 

伊勢の赤福とか、

 

東京のスカイツリーです。

 

 

そんな気概の出し物です。

 

まあ本当に、

 

一回見てみてくださいよ。

 

特にこの

 

「郡山ラプソディ」

 

間違いありませんから。

 

 

 

なかなかこんなこと恥ずかしくて自分の作品で言うことまずありませんが、

 

これについては、

 

なぜか言えるんですよね。

 

 

僕にとっての

 

古事語り部座

 

は、本当に特殊なポジションでして。

 

 

 

 

 

しまった、長くなった。

 

もうこんなもんで。

 

 

 

今週の土曜日です。

 

夏に見た人も、

 

だいぶクオリティ上がっておりますし、メンツも少し違う。

 

初めての人ももちろん、

 

大船に乗った心地で楽しく見に来てください。

 

 

「郡山ラプソディ」

 

 


おわり

 

人生を描いたお芝居は数多ありますが、

 

この作品ほど時の流れと人の命、

 

人と人とのつながり、

 

その喜びと悲しみ

 

凡庸と煌めき

 

残酷と幸福

 

そんな陰影を生々しく、

 

しかも仰々しくもなく、

 

しかも間違いなく肯定的に

 

サラッと風のように通り過ぎる体感を

 

にじみ出す演劇は稀であると断言します。

 

 

 

そういう意味で、

 

ようやく冒頭のうるう年の話に戻るんですけど、

 

この芝居を体験することは、

 

何か、

 

すでに取り返しのつかないほど、

 

大きくズレてしまっている物事を、

 

その事実をしっかりと受け止め、

 

隠すことなく、

 

ごまかすことなく、

 

そして恥じることなく、

 

これからに向けて修正する経験のような気がするんです。

 

少なくとも僕は本番で出演しながらそう感じました。

 

 

 

だから偶然だけど

 

うるう年の2.29にこの芝居を見てほしいんですよね。

 

あらゆる人に!

 

本当にあらゆる人に。

 

 

 

 

泣ける

 

って映画や芝居の感想で使うのは嫌です。

 

泣けたらいいのか、ってそこが疑問で。

 

 

 

でも今回は特殊。

 

何か何で泣いているのか説明できない、泣いてしまう瞬間、があります。

 

幸せで嬉しい感動でも、

 

悲しくて絶望的なわけでもない。

 

とにかく説明できない。

 

 

 

人生は人それぞれ別々で、

 

生きている時代によっても

 

それぞれの価値は所詮それぞれで、

 

自分は自分でしかなく、

 

他人は他人であって、自分ではない。

 

人間は基本が孤独であるということは十分わかるんですけど、

 

この

 

何で泣いているのかわからん涙っていうのは、

 

人は皆全然違うんだけど、

 

同時に結局みんな同じなんだっていう、

 

そういう何というかね、

 

人間って括り方。

 

それって一瞬でも真剣に思えたら

 

出てくるんだな。

 

脳神経が驚いて、涙が。

 

 

 

脳神経を驚かせる。

 

 

なかなかないですよ。

 

芸術や芸能にしかないですよ。そんな技。

 


つづく