皆さま、あけましておめでとうございます。

 

 

 

 

昨年はコロナ禍という特殊状況の中での創立30周年でしたが、

 

「猿女のリレー」

「燦燦七銃士」

 

皆さまのおかげで

両公演とも予定通りに全ステージ上演することができました。

 

御来場の皆様、ありがとうございました。

 

そして、昨年はカーテンコールで必ず言っておりました、

 

皆さま、お疲れさまでした!

 

 

通常は芝居をやってる側の内側でのあいさつが、

「お疲れさまでした」

なんですが、

 

コロナ禍の状況が一つ大きく学ばせてくれた一つのことに、

 

演劇作品が際立って、

 

双方向であり、主客混然一体な事象なんだということです。

 

表現ということがそもそもそういうことなんだと思いますが。

 

あらためてそのことの意識を促された。

 

 

 

お客さんが演劇作品の最後のピースだ、

それなくしては作品は完成しない

というような言い方を

他でもよく聞くようになりました。

 

 

昨年を経ての僕の実感としては、

さらにそれ以上のことだと思ってます。

 

 

僕らが作った何か、

 

美であるとか、主張であるとか、技術であるとか、

 

癒しであるとか、エネルギーであるとか、

 

そういうものを体感してもらって、

 

その、いわば、もてなしに対して

 

お金なり、評価なり、拍手なり、何らかの対価をいただく。

 

というようなことだけではない。

 

 

 

見る。見られる。

 

その場で起こるお互いの変性作用というものが、

 

演劇の根幹にあるはずです。

 

 

 

何が変性するのか。

 

価値観か、人生か。

 

日常の見え方か。

 

いやもっとか。

 

時間や空間が変わるのです。

 

 

 

 

 

そして、時間や空間が変わる体験が、

 

他者と共に生きなければいけない人間の営みには、

 

きっと必要なんです。

 

 

 

劇場とはそういう、

 

ミラクルでありつつつ、

 

井戸のような場所でもある。

 

 

 

だからやっぱり、

 

直接劇場で皆さんと出会わなければいけない。

 

 

 

それはこのコロナ禍だからこそ、必要な場でもあると考えます。

 

 

 

ですので、

 

今年もカムカムミニキーナはできる限り演劇を上演していきます。

 

 

 

 

本公演は8月の予定です。

昨年の「猿女のリレー」にも関連する、

古事記シリーズとして

サルメの対になる

「サルタヒコ」

にまつわるお話を作る予定。

 

(ちなみに故郷大和郡山の市民劇団、古事語り部座も今年九月上演予定の新作は、そのもの古事記神話通しの「歌劇ふることぶみ」です)

 

 

 

近年ずっと「古事記」界隈から題材を探し続けてますが、

 

やっぱり神話の成り立ちを掘り下げるのは、果てがない。

 

 

全人類に襲い掛かり、

しかも善悪を問えない自然災害

コロナ禍という未曽有の異常事態に、

我々は右往左往していますが、

 

全人類規模に襲い掛かる自然に対するような物語は、

世界の神話にはいくつもあります。

 

 

神話的思考ってものは奥深いです。

 

 

 

あとは

四人芝居で地方を回るシリーズ

 

「しめんげき」

 

2020年は休止せざるを得なかった

奈良のナライブが復活のイベントに招へいしてくれます。

 

3月末に三本の新作をお届けする予定です。

 

配信もあります。

 

すでに年末から稽古中。

 

 

この企画はフットワーク軽いパッケージになってますから、

 

お声がけいただけたら、どこの町でも行きますよ。

 

そしてその町の物語を演劇に。

 

 

 

 

今のところ、以上なんですが、

 

もう少しあってもいいのかなとも思うので、

 

さらに、色んな知恵を巡らせて、考えていきます。

 

 

 

 

コロナ禍は収まる気配がありませんが、

 

31年目のカムカムミニキーナ、

 

果敢に演劇を現出させていくつもりです。

 

 

 

 

皆さま、くれぐれも慎重に慎重に、

 

日々お身体を守りながらも、

 

劇場へはぜひ、足をお運びください。

 

 

 

 

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎度のことながら

また久しぶりになってしまいました。

 

隔週で奈良新聞のコラムがあり、

(10年ほど、合計269回やってます。WEBだと読めない。)

日々のツイッター、フェイスブックもあり、

公演の時には

パンフレットの文章に加えて、

稽古場ブログの最終まとめというやつがありまして。

 

書く対象がどうも分散して、

このブログがなかなか動かない。

 

この間に

「猿女のリレー」を無事終えました。

 

これについては

稽古場ブログ最終をご覧ください。

https://ameblo.jp/3297jp/

 

あるいは

ただ今通販発売中のパンフレットの五千字長文

長塚圭史、桑原裕子、両劇団主宰とのコロナどうする対談などで。

http://3297.shop-pro.jp/?pid=151990519

 

ちなみにこの劇団主宰対談企画は継続中で、

第二弾は来月本番のKAKUTA「ひとよ」のパンフレットに掲載されます。

これは僕、桑原とMONOの土屋さんとの三者対談です。

内容濃い対談です。ぜひ。

http://www.kakuta.tv/

 

続けて読むと一段と味わい深いはずです。

今から「ひとよ」行く予定の方、

「猿女」パンフ、いかがですか?

 

この企画はさらに継続予定。

 

この事態に、何を思い、どう演劇をやるのか。

 

刻々と変わる現状に、

 

劇団というものが、その都度、どう対し、どう振舞っていくのかの、

 

いわば2020年の記録です。


 

 

「猿女」の対談の時にちょっと思って話したことなんですが、

 

小劇団の文化っていうものの在り様の、

 

外部への発信の意識の少なさが反省点としてあるかもしれないという言葉が載ってます。

 

これは、

 

対談の話題が

 

三月、四月あたりにあった演劇への社会の風当たりの強さってことにフォーカスした際に、

 

発言したものです。

 

あの頃とは今は状況が変わって、

 

そのような風当たりは消えた気もしますが、

 

自分としてはその課題は継続して持っています。

 

 

 

二十歳の頃に自己実現という形で始まって、

 

僕らにとって長い青春であった劇団というものが、

 

年月を重ねてベテランと呼ばれていく中で、

 

どこかで、

 

もっと社会に開いていく存在になっていかないといけなかったのではないか。

 

それを僕らの世代は怠ってきた部分があったのかもしれない。

 

 

 

それは

表現のベクトル関係なく、

本音を棚上げして

表面上仲良しで支え合う業界の現状、

 

客の半分がご同業みたいな形態

に対する無自覚なよりかかり

 

これら小劇場の決して素晴らしいとはいえない特徴に対する

目のつぶり方

とも少なからず関係があると思う。

 

 

 

そこには

 

表現というものを

 

社会論理に対して堂々と責任を負っていく気概のようなもの、

 

そういうものを、照れ隠しや、自身のなさや謙遜にごまけて

 

背負うべきものを背負うことから逃げてきた部分があったのではないか。

 

 

 

と言ったような意味あいなんですが、

 

確かに明確には言えてない。

 

「猿女のリレー」はある種、その回答実践のような作品でもあるのですが

 

それを作品ではやりましたからってだけでは、

 

これまた、開き方が足りない気もする。

 

 

 

こういう風に

 

ちゃんと言葉にしてくことも大事。

 

まあできてないんだけど。

 

できてないってことを知ることも大事。

 

自分達の表現って何なのかってことを、

 

自信を持って、

 

この自信ってやつは、つまり、反論を受ける勇気ですよね。

 

そういう者を持って、

 

堂々と戦っていく気概がないと、

 

何が敵で何が標的なのか、

 

この表現が挑みかかっているものは

 

何に対してだ?

 

結局、

 

何を大事に思っているんだ?

 

ということが、

 

やってる方にもいい加減だったりするのかもしれないと思いました。

 

 

そういうことを遅まきながら改善していきたいと思っています。

 

 

 

先日、ある討論でこういう趣旨のことを言うと、

 

思いの他、同業の方々に受け入れられなくて

 

なるほどと思いながら、

 

そこでじゃあ目立たぬようにひっそり静かに隠れてよう、

 

わかる人だけわかればいい

 

ではなくて、

 

むしろ、ガンガン主張していくことで波風立てていこうと。

 

 

劇とは別に発言しようとか、そういう意味ではないんです。

 

ここもうまく言えてないんですが、

 

心構え。

 

 

 

コソコソしない。

 

何となく通過しない。

 

帳尻を合わすことに終わらない。

 

 

 

これは劇作に当然反映されてくると思います。

 

別建てではない。

 

 

 

そういう取り組みの一環として

 

11月に予定されてる秋の公演

 

 

まさかの展開ですが、

 

あの決死の思いでやった7月「猿女のリレー」よりも、

 

状況は難しい局面を迎えてます。

 

でもやります。

 

やるかやらないかではない。

 

どうやってやるか。

 

 

何が7月より大変かと言えば、

 

いざ稽古始めて本番やる流れの中での、

 

中止確率の高さです。

 

感染率が高まっているから当然な上に、

 

検査はもちろんのこと

 

誰かが発熱しただけで

 

問答無用で公演が中止になる事例が続いてます。

 

 

 

秋までにまた色々なことが起こるでしょう。

 

予断を許さないという点では、

 

5月以上の緊張感。

 

 

 

でももはやこの状況そのものが演劇的であると思いました。

 

で、

 

この状況を皆さんと共有しながら作っていければと考えてます。

 

具体的にはまだ摸索中ですが、

 

例えば配信で頻繁に過程を実況していくことができないかと思っています。

 

見てる人と色んな相談もしながら。

 

万が一不可抗力で中止になっても、

 

一つの作品になるように。

 

 

具体的にしていきますので少々お待ちください。

 

 

今、動かないでいつ動く。

 

今こそ、三十周年の全力を傾けて、

 

とんでもない工夫を。

 

と思ってます。

 

 

「猿女のリレー」のカーテンコールで

 

僕は初めて

 

お客さんが一人一人なんだということに気づきました。

 

それまでは、束で見てた。

 

百人なら客=百人という単位みたいに。

 

あの時、

 

一人一人の顔が見えたんです。

 

それぞれ決死の思いで劇場へ足を運んでくれた同志の顔でした。

 

「ありがとう」

 

という思いと同時に

 

「お疲れ様」

 

と言いたかった。

 

 

 

見てるそれぞれの人と一緒に創るんだ演劇は。

 

こんな基本的なことに気づいてなかった。

 

恥ずかしげもなく言います。

 

照れずに言います。

 

 

僕の思う社会に開く意識というのは例えばこういうことです。

 

劇団の作品は

 

劇団のメンバーだけの事情によってできるものではない。

 

自分の子供だからといって

 

その子のことを親が好き勝手にしていいわけではないのと同じで

 

作品は

 

劇団が好き勝手にできるものではない。

 

一緒に生み出し、一書に育んでいくものだ。

 

お客さんと、ではない。

 

お客さんという言葉では一括りにならぬ、

 

目撃者それぞれとだ。

 

 

 

 

ちょっとわかりにくいかもしれない。

 

明確に書けてない。

 

そのうちもっと明確に言葉にできればいい。

 

 

 

とにかく、皆さん、

 

 

秋の公演、

 

一緒に創っていきましょう。

 

 

それが

 

劇団の演劇が目指すところであると思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆様、お待たせしております。

 

次回公演予定の

「猿女のリレー」

につきまして、

依然として開幕できるという判断を下せる状況になく、

発売を延期させていただいております。

 

六月には稽古を開始しないと間に合いません。

六月に稽古ができる状態になるのか、

その見極めで判断することになると思います。

 

今後、我々のような規模の演劇が、

どのように稽古してどのように本番を迎えなくてはいけないのか。

 

その点において、

カムカムの演劇の作り方において、

どこまで変容が可能なのか。

 

僕らは考え続けています。

 

しかしこれは、

僕らの考えだけで決着する問題でもありません。

 

自分たちの劇団の事情もさることながら、

 

そして個々の表現者としての立位置とは何か?

というような問題もさることながら、

 

当然のことですが、

小劇場や演劇全体の社会的な在り方が問われることでもあり、

 

自分達の行動が自分達だけの都合の範囲にはおさまらないわけです。

 

演劇の再始動については、

個々が各々のアイデアで先駆けしていくのではなく、

慎重に足並みを揃えていかなくてはいけないのではないかと思います。

 

どういう形でなら社会的に可能とされるのか。

それを考える上で、ある程度の共通基準が必要ではないかと。

 

うちは特に、

二十人以上が休みなく常に動き回る芝居作りが基本でしたので、

問題は稽古ですね。

 

本番はある程度、

お客様とのディスタンスや消毒換気の基準が

三月に何となくできたような気もします。

韓国の例なんかもあります。

 

ただ稽古をどう考えるのかが難しい。

 

検査キットが稽古場にある形くらいしか今は思いつかないです。

 

今の政府の実力で

果たしてそんな風なところが解決する所まで進んでいくのかどうか。

 

うちはzoom稽古というのは難しいですが、

それでも、そこに適応していくしかないのかもしれない。

 

悩ましい。

 

悩まし忙し。

 

 

 

 

どうもそういう気にならなくて

 

ツイッターとかめっきり書くこと減ったので、

 

何か発信をとの声がいくつかあり、

 

同調して久々にブログを書いてみました。

 

 

 

人の声に人が動かされてしまう危険もありつつ、

 

人の声が人を動かすっていう事実があることも大事です。

 

 

 

 

以下、まあどうでもよい長い話。

 

 

 

今は何と言いますか、

 

リーダーとして何人か率いて登山してるような感じに似ています。

 

一緒に行った人はわかるんですが、

 

僕は登山の時はかなり無口で、

 

必要以上なことをほとんどしゃべらない。

 

軽口も言わないし、滅多に笑わない。

 

迷わないように道と地図に集中し、

 

天候の変化と経過時間に集中し、

 

自分とメンバーの精神と体力の状態に集中し、

 

とにかく

 

緊張が途切れない状態を維持して、

 

目的地に向かって歩き続けます。

 

いかに綺麗な景色にも見とれてはいけない。

 

一息はついても、

 

油断してはいけない。

 

そして、ただただ

 

前へ進みます。

 

「安全に」

目的地に辿り着くまで。

 

 

 

 

一度、清水宏さんのライブでチャレンジドキュメントシリーズに取り上げていただき、

(一緒に登りました)

 

そういう面をネタにしてもらいました。

 

せっかく着いた頂上で一人仏頂面して

感動にひたっている皆に出発を急かす僕に

 

「頂上がうれしくないなら、おまえの登山はいつが楽しいんだ?」

と問われて

 

確か、

「下山した時です」

 

と答えたような気がします。

 

「それ何が面白いんだ!」

 

と映像でつっこまれてましたが、

 

確かに変だな。

 

 

 

 

その登山もしばらく行ってません。

 

でも、

 

そんな感触のする毎日です。

 

ちょっとでも油断すると迷い道や悪天候に突入しそうで。

 

ずっと部屋にいて、

 

ずっと休んで暇なようで、

 

一切休んでなくて、暇でもない。

 

 

 

 

本当にここから舞台で表現をし続けるには

針に糸を通すみたいな道を見誤らずにいかなくてはいけないのかも。

そんな心配をしてしまうのは、

最悪の事態を考える登山のクセかもしれませんが。

 

とは言いつつ、

 

その針の糸道がないとは思っていないから、

日々、進み続けているわけでもあります。

 

 

202057

 

*このひとつ前のブログは224日。29日開幕の古事語り部座「郡山ラプソディ」を直前にアツくお薦めする長文でした。そのブログを書いた翌日に首相があれこれ言いだし、学校が休校になり、お客さんを入れての本番ができないということになり、結果この作品は映像収録用の本番を一回やって終わりました。あの辺りから始まって、激化して、現在進行中。