9年目のナLIVE

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9年目の草芝居が終わった。

ナLIVEはそもそも、

物置と化していた旧印刷工場を
演劇で使わないかという話から始まった。

子供が公園で遊ぶように
気軽で無責任な演劇体験を大人ができないか
という触れ込みで草芝居と名付け、
主に初心者に向けたワークショップを
募集開催。

まずはその工場を大掃除することから始め、
壁を黒く塗り、
どこかから備品を調達するという、
全然演劇ワークショップとは呼べない、
まるで学園祭みたいな、
そんな、
自分達の劇場を作るところから
この企画は始まった

せっかく劇場があるのだから、
年に一回は無料で素人なりの公演をしよう。
その発表に向けて、
一年間、
作品をみんなで作っていこう。

そうなって今のスタイルが定着した。

当初は人数もかなりいたので、
複数チームで
観客投票による
決戦方式で優勝を決めることになり、
プロレス好きが何人かいたので、
トロフィーではなく、
ペナントでもなく、
賞状でもなく、
チャンピオンベルトを
年々引き継いででいくことになった。

これがナLIVEの始まりである。

その工場はナLIVE参加メンツの投票によって
もう一度来たくなる
「もいち堂」
と名付けられて定着したが、
残念ながらしばらくして
工場全体が他の施設に建て替えとなり、
劇場は消失。

ナLIVEはホームを失い、 流浪の身になった。

その後は各所の公民館や、
よくお世話になっているスタジオ、
白ちゃんハウスなどを転々としながら、
ワークショップからの草芝居本番という、
当初の流れを維持しつつ、
徐々に口コミで仲間を増やしてきた。

と言っても
人がどんどん増え続けたわけではない。

それ以上に沢山の参加者が卒業していった。

仕事や進学、家の都合で
なかなかこれは大変だ、と、
芝居自体を続けられなくなる人もいるが、

それ以上に多いのが、
このナLIVEで芝居の味をしめて、
より上のレベルを求めて、
地元のアマチュア劇団や、
大阪、東京へ乗り出す者だ。

また、
意外にあるパターンが、
自分達で演劇の集団を作るという流れ。

とても嬉しいことで
全力で応援するが、

そうなると
なかなか
大元のナLIVEとは距離があく。
なかなかワークショップには来れなくなってしまう。

というサイクルなので
ナLIVEにとって、
新規開拓は命。

しかしなかなかこれがさほど順調にはいかない。

草の根の宣伝は難しい土地です。奈良は。

そしてこの
ナLIVE特有の、
全国的に見ても極めて特殊な趣旨をわかって共感してもらうこともなかなかに難物。

それでも九年、
負担が一部の責任感ある若者達に
集中したりしたけれど、
そのおかげでナLIVEは存続し、
毎年、素朴で不器用ながら
なんとも魅力的な素人演劇と、
ステキな草俳優を奈良の巷に生み出してきた。

今年もその例外ではない。

少し少なめだった全体人数だったが、
3本並んだ多彩な今年の作品は、
どれも素晴らしく、

脚本から演出から、
全部一から自分達で考えたということを思うと

奇跡的と言っていい出来が並んだ。

どこが優勝してもおかしくなかった。

結果、驚きのクオリティの
手作りパペットを巧みに使ったチームが勝ち、

二位に終わった
ほぼ小学生のみのチームの面々が
とても悔しそうな顔してたのは、
明日への希望。

一位のチームの中一のヒロインは、
昨年の小6時に二票差で優勝逃した悔しさを
今回晴らせたと
言葉にやや詰まりながら
インタビューで話していた。

よきかなよきかな。

気持ちのいい風景である。



お芝居は木戸銭いただいた
お客様のためにやるもの。

だから昔から代表的な批判の言葉は、

自慰的演劇だろ

という言葉だ。

てめえ個人の満足のためにやってる芝居は、

自分の部屋でてめえ一人でやってくれ

そんな気味が悪いもの人に見せるな


僕もよく言われた。

今もまだたまに言われる。

まあこれは間違ってない。

しかし商業演劇の、

商業であることに重点を置いた視点だ。

その点ではぐうの音も出ない正論だ。

だが全く普遍的な視点ではない。




でも僕はそれでもいいんじゃない?
という領域にずっと演劇の可能性を感じてきた。

今もそうだ。
 
むしろ
 
てめえの満足のためにやってる演劇

にこそ演劇の可能性があると思った。

高尚でもない、

上質でもない、

他人には何のためにもならない、 

個人の、

どうでもいいかもしれない

恥ずかしい行為を

他人にあえてさらけ出す 

他人に身勝手に投げかける




 そんなものを

自分の部屋で終わらせずに

人に見せる

そこに芝居の面白さを感じてしまった。

これこそ

哲学としての小劇場ではないか
 
 




アマチュアリズムという言葉はまだ甘い。

それ以下を見よう。


アマチュアとさえ言えないど素人。

下手としか言いようがない、

使えない、
情けない、

そんな、

舞台に立つ資格があるのか!

と怒られそうなおばちゃんや子供達が、

赤裸々にテンパって狼狽える様、

それでも必死に
 
素人なりに

ショーマストゴーオンの呪文を生きる


これは一体何を見ているのだろう?

と思いながら、

技量を超えて訴えかけてくる、 

 
そして

喜び!

どういうわけか、

そういうの見てるとね、

世界や人が、そもそもいいもんだと思える。

あれ?

これも

哲学としての小劇場ではないか。





   
九年目のナLIVEは、

馴染みのゲストおじさんシンガーの

僕らには馴染みの歌から始まった。

 
それは

ほとんどのお客さんにはわからなかっただろうが、

すでにあの世へ旅立ったみんなの仲間の一人のことを歌った歌だ。

わかる奴は冒頭から泣いてしまう。

僕もそう。

お客さんはわからないだろう。

まさに自慰的な展開だ。

批判されてしかるべきなのかもしれない

でも

僕らにとって

あの歌から始まるナLIVE草芝居

彼女が逝ってしまって

もう一年以上経ったんだなと

しみじみ思ってね。



今年はもう一人あっちに逝ってしまったから、

その人のことも思い出したりしてね、

 



それで、


みんな、

そんな気持ちを背負って

演劇をやったんです。




完全にこっち側の事情なんだけれど。
  
 





小学生の時に参加してくれてた子が、

久しぶりに顔だしてくれて、

高校生になってた。

背が伸びてて。



なかなかひねてて

話しかけても

素直に返事してくれなかった子だったけど、

頭が良くて

活躍してた。

最初の三年か四年は

彼女のチームがずっと優勝してて、

優勝請負人みたいだった。

中学あがって

やっぱり部活とかあるから顔見なくなったけど、

高校生になってすげえ背も伸びて

可憐な少女になってて、

一番これがびっくりだけど、

愛想のいい、

よく喋る子になってた。


そういえば彼女が小5か小6の時に

大人なしで子供だけで1チームやらせてくれって

僕に突然直訴してきて、

おまえが責任持ってやれるならって

初めてナLIVEに小学生以下だけのチームができた。

脚本も演出も彼らがやる。

変な脚本書いてきたけど、

すごいなって思った。

小学生だからね。

結局優勝はできなかったけど。





その伝統があったから、

今年もほぼ小学生だけの一チームができた。

僅差の二位だった。

口には出さないけど

みんな、 

本当に一位逃したことが悔しかったのだろう。

顔見ればわかる。

大人に勝つチャンスだったんだから。

彼らにまたリベンジの機会を作るのが、

僕にできる 

演劇行為だ、






さんざん、
奈良での活動をツイッターとかで書くから、

松村はつまり奈良でどういうことをやっているんだ?

と問われることが多くなった。



なかなか一言では説明が難しいので、

つらつらと書いてみました。

こういうことなんです。

まだ伝わるまい。

来ないとね。



でもこれはナLIVE。



奈良ではもう一つ、


ちょっと趣の違う、

つまり、哲学も違う

古事語り部座

という市民劇団もやってます。


こちらのこともいつか書きましょう。


ながながと申し訳ない。

   





ナLIVEの存続は毎年毎年風前の灯。

でも参加者が増えればやっていけます。

来年は10年目の節目なんで

ぜひここで終わらせたくはないんです。




最後の試しに11月4日 18時
ナLIVEとしてワークショップやります。

その日、手応えがあれば、

来年の草芝居の存続も見えてきます。




奈良のみなさん、

もはや大阪の人も多い、

京都からもすぐです。

名古屋や東京からたまにきてくれる人もいる。



軽く演劇をやりませんか?

自己満足でいい。

失敗でもいい。

それでも見てて不愉快じゃないようにするくらいは、僕がやれます。


とにかく

この試みは全国的にも稀有だと思います。



軽い気持ちで顔だしてみてください。

軽い気持ちで

知らない集団に顔出す

みたいな行為が

軽くできるようになるというところも目標。

演劇は

そういう考え方の

処方箋なんです。


プロ志向の人、
もしくはすでにプロの人も歓迎です。


僕はもちろん、
このナLIVEに関わる
カムカムの劇団員達は
ナLIVEの素人のみんなの姿に直面することで
逆にプロとはどういうことか、を
沁みるように
学習させてもらってます。


  
プロの人であるほど戸惑うことも多いでしょうが、

役者なら

喜んで戸惑うことに出会うべきではないでしょうか。





ナLIVEの経験は

多くの卒業生のそれぞれの


礎になってます。


ぜひぜひ。

いろんな人々。



演劇にこんなにいろんな力があること、

ナLIVEで

体験してください。 



そして、

来年は10周年。

こんな金銭的バックボーンがない催しが、

奈良にて10周年は画期的。

なんとか、

草芝居の本番、

ドカーンとやりたいです。 

知ってる人、知らない人、

皆さん、一緒にやりませんか?





























































































追悼

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その人が亡くなったことを噂で知った。

もう何ヶ月も過ぎた後のことだった。



はっきりとした死因もわからないのだが、

部屋で一人で亡くなっているのを

何日か後に発見されたそうだ。



家族がいたのかどうかも僕ははっきり知らない。




彼とはワークショップの演劇の場で知り合って、

一緒に作品を作って、

稽古が終わってから飲んだことも

一度や二度ではない。


何の話をして飲んでいたか、

もうはっきり覚えていないが、

たぶんその都度、

その時作っていた作品の話をして飲んだろう。

あれやこれやと盛り上がって飲んだのだろう。



プライベートな話を聞いた覚えはない。



彼がどういう人であったか、

僕の知りうることは舞台の上の彼の姿と、

芝居を作る場における彼の佇まい。



とてもよい、信頼できる俳優だった。

よく笑わされた。


個性的でいて、
上手だった。


もしかしたらそれなりのキャリアのベテランだったのかもしれない。


だとしても、

全く腐らず、偉ぶることなく、

ほとんど未経験の素人ばかりという現場で

子供たちやなんかと必死に取り組んでくれてた真摯な姿が、彼という人を物語る。




年もちゃんと知らないが、

僕より一回りくらい上かな。

名前もちゃんと知らないが、

ニックネームは忘れない。






あなたもよく知る仲間達と

また今年も作り上げてきたお芝居が

もうまもなく本番を迎えます。





見守っていてください。



















「半神」

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「半神」

終わりました。
ご来場の皆様ありがとうございました。

これをやるにあたり、
若い頃、
まさに文字通り、
擦り切れるほど何度も見た
遊民社版の「半神」の映像を
とても久しぶりに見返しました。

今となってはそこに映っている大半の人たちと、
同じ現場で芝居をしたり、飲んだりすることが実現しました。

田山さん、松浦さん、浅野さん、羽場さん、佐戸井さん、久ヶ沢さん、遠山さん、円城寺さん…そして、野田さん。映像版には出てないけど段田さん。


まあ、信じられないですね。
最初は野田さんはじめ、やっぱ若いなぁなんて
俯瞰した目で見ていましたが、
やっぱり最終的に驚くほど泣きましたね。
20歳くらいの頃の僕のように。

若い頃僕は夢の遊民社に関しては
チケットが取れる限り何度も同じ作品を見に行ってたし、
数少ない、ビデオ映像化された作品については、
100回レベルで繰り返し見ていたものです

もちろんノダマッブになってからも最初は欠かさず3回ぐらいづつ見てたし、
自分も何度か関わらせていただいたけど、
そのうち、他の公演との執着の差はなくなりました。

やはり、僕にとっては、解散までほんの短い期間でしたが、
夢の遊民社の野田さん。
これに熱狂したことは、
人生にとって特別なことでした。

同じように遊民社の上杉さんに熱狂した奴がカムカムの旗揚げメンツにはいて、
「半神」のセリフなんか丸覚えして
脈絡もなく叫んでいた。

「半分と半分とで常に半分をしか作らない二分の一の螺旋階段を上るうちに」

「この海原越しに呼びかけて、船に警告してやる声がいる。そんな声を作ってやろう。」

とか。

演出は全然違えど、

この作品を構成する一部になる、 そして、
それらの、
自分で演じたわけでもないのに
ともすればもはや今でも覚えているほど染みついた台詞を
プロの役者として
全身全霊で発するということは、
僕にとって、
間違いなく、
特別な経験でした。

野田さんの作品を野田さん以外の演出で役者として参加するのは実は二度目。
島根雲南市民企画で「オイル」をやったことがあります。
それも今回と同じく野田さんがやった役。

でも「半神」は特別でした。
遊民社の作品ですから。
そして高二の時に初めて見た野田作品でしたから。

「孤独はどっちが持っていく?孤独は人になる子にあげよう。その代わり、おまえには音を作ってやろう。この世の誰も聞いたことのない音。」

こういう台詞を言いたくて役者をやってます。

こういう台詞を書きたくて作家もやってます。

そして、

「半神」のような作品を、
田舎高校生の頃の、
本当の意味で何にもなかった、
何にも人生のとっかかりがなかった、
僕のような人間に届けたくて、
演出をやり、劇団をやってます。

二十八年続いたスタイル、

この年で自分を振り返る、
とてもいい機会を与えてもらいました。

今度はいつか、
遊民社作品の演出をしたい。

そう思いました。

「半神」は名作です。

冒頭、 
僕が先生?として、お任せをいいことに、
適当に喋ってたとことはほぼ事実です。

皆がこの作品に憧れ、
学生演劇に夢をかけ、
何人もが夢破れて現実社会に散った。
僕はギリギリ二十八年持続してるけど、
そうやって、
演劇に夢を見て、
「半神」や遊民社に夢を見た奴らが、
のべ、何人いて、 
のべ、何人が去っていったか。

だから
今回この作品に出るということに関しては
色んな人に、
特に懐かしい人たちに、
激励いただきました。

そういうものも背負ってるんだという意識が、
稽古中もどこかあって、
まあ、若い世代には迷惑なだけなんですけど、
うるさいおっさん俳優だったかもしれない。

結局、体力がおぼつかず、
あらためて、
肉体あっての遊民社台本なんだと痛感させられました。
戯曲に掲載されている30歳くらいの初演の皆さんの写真の肉体は凄い。

さして鍛えてもないアラフィフには地獄のようにキツかったです。

動きまくって喋りまくる。 
そこには呼吸をコントロールする技術が必要です。

そんな演劇も減りましたから、
初めて見た人には新鮮だったかもしれません。
面切りもね。

もう小劇場でちゃんと意図的に面切りやるのうちくらいかもしれない。

とにかく、
楽しい公演でした、とか、
そんか感想は全くないですが、 
「半神」
をやれたことは、 
この半生において
三国一の果報者なんだと、
何にかわからないけど、
ひたすら感謝です。

見た人はまあ色々思うこともありましょうが、

四の五の言うな
四の五の隙間
四次元から五次元へと吹く
白いゴムまりの風にゆだねましょう