昨日は年内最後のスカラ座、ドホナーニ指揮によるベートヴェンの第九を聞いてきました。
偶然知り合いから午前中の公開リハのチケットを頂いて、1日で第九を2回聞いたわけですが…
いやぁ、素晴らしかった。
なんだろう、今まで思っていた物とはかなり違う価値観を提示された感じ。
よく考えたら(合唱団席からとはいえ)日本で一番聞いた交響曲なんですよね、第九。
だから、自分の中で「こういうものだ」みたいな物が形作られていたわけです。だから
きっと、歌い手をやめてもっぱら客席側から聞く事になった時もその「基準」をもとに「素晴らしい」とか「あんまりだな」とか思っていたのです。
それを、ガツンと壊されましたね、昨日は。
いや、壊されたというより、全く違う道がそっちにあったのかと気付かされたと言いましょうか。
とにかく、全く新しい感情を引き起こされたんです。
と、ややオカルトじみた話になりそうなのと、長くなりそうなのでFacebookに書けないし、ブログ久々の投稿となったわけです(笑
来年からはコンサートがこちらに移行しようかな。
ここからは自分自身の備忘録的な意味を含めて、つらつらと書きますので、文がおかしくなりますが、ご容赦を。
あ、箇条書き形式にしようかな。
・1楽章冒頭
あのドミナント5度「ラミ」を、あれだけ期待感のある、しかも暖かい音で演奏するなんて初めて。tuttiの爆発も短調のコードなのに、どぎつくならない。もちろん爆発はより立体的。
・木管楽器、ホルンと弦楽器とのバランス
要所要所で弦楽器をこれでもかと抑えて、管楽器を聞かせていた。
本当に新鮮な響き、こんなに美しいことをやっていたなんて、、後ろから聞いてたから気づかなかった、じゃ済まないレベル。。
弦楽器を抑えることで、その後くるtuttiのcrese.→fの効果の凄まじい事も大事。
これらを意図的にする事で、奏者に「喜び」があったように思う。これも絶対大事。
・弦楽器のフォルテ
本当に豊かな響き、すべての音がtenutoされ絶対に潰れない。
指揮者の力と、奏者の意識によるのかな。
・2楽章
ここでもやはり木管楽器を聞かせる事に終始する。
ホルンを全体の起爆剤に。
腕を頭の上から腰の下まで振り下ろして、それでもなお身体がブレずに固くならないので、オケの音が常に立体的で深みのあるものになる。
・3楽章
トランペットのファンファーレは、正直言ってもっと実質的、物質的な勝利だと思っていた。つまり誰かとの戦いに勝った喜び。そこには必ず敗者がいる。
でも、昨日感じたものは違った。もっと精神的な勝利、自らの弱さを克服し、葛藤を乗り越えたことの高らかな宣言だった。
ワーグナー的な神々の賛歌でなく、ものすごく人間的な喜びを感じた。
春の訪れは、こんなにも心をも暖かくするものだった。
・4楽章
冒頭1つ振りは、やはり少し無理がある気がした。まあ些細な事。
弦の配置、左からVl1 、Vc(Cb)、Vla、Vl2は主題が低弦から始まって→→→←となる時にすごく効果があるかもしれない。
(2楽章の頭が←←←←となるのもですね)
歌が入ってからは、ああベートヴェンて変奏曲の名手だったんだよなと改めて感じた。
テンポ設定が本当に重要なんだ。
フーガをあのテンポでやるには、あれだけ全ての音(特に付点二分音符)が充実していなければならない。そうでなければただの駄々っ子にしか聞こえないだろう。
ihr sturzt niederのVlaのvibratoが素晴らしかった。ここは全曲中で最もロマンティックでいいのかもしれない。
まだまだ、もっともっと色々ありましたが取りあえずここまでにしておこう。
いつか自分が第九を振る時の、大きな財産になった演奏会だった。
あ、忘れてた。
指揮者のドホナーニ、素晴らしかった。
おじいちゃんで手がブレてオケずれた瞬間がいくつかあったけど、そんな事はどうでもいい。
エネルギーを貯める、流す、爆発させる、を本当に自然な身体の使い方でやっていた。
動きは真似できないけど、やっていた事は真似できるはず。
本当に、こんなにまで心を揺さぶってくれてありがとうと言いたいです。
来年もスカラいっぱい見に行くぞ!!