今日はチョンミョンフン指揮のドン・カルロ初日。
五幕版は、、、、、、とにかく長ひ(笑
18時半開始で、終わったの23時半ですよ、、終電ギリ間に合って良かった。
昨年見逃した『シモン・ボッカネグラ』の評判がすこぶる良かったマエストロ。
今回もきっと素晴しかろうと期待していたのですが、、
なんだかお疲れなのか、いつものキレが、、特にレチタティーヴォで歌より早く手が降りたり、時に遅かったり、、体調良くないんじゃなかろうかと心配してしまう様な指揮ぶりでした。
5幕全てを暗譜して振るのはすごいんだけど、オケを不安にさせては本末転倒なのではなかろうか。。
うう、大好きなマエストロだけにこれ以上言いたくないけれど、なぜ悪いと思ったのかは冷静に考えたい所。
以下、私の推測等々。
一番大きな残念ポイントは、ドラマトゥルギーが感じられなかった事。
劇の高まりと音楽的な高まりが一致するべき所で、どちらも中途半端になってしまってました。
なぜか。「言葉を振ってないから」。
だから、歌い手が作ろうとするドラマにオケが参加できない。
そして、歌い手もオケの助けがないから、ポテンシャルを発揮できない。
劇的、音楽的な構築がなされないまま時間だけが過ぎ、終わる。
では、「言葉を振る」とは何か。
言ってみて改めて思うけど、とても抽象的なフレーズ「言葉を振る」。
具体的に考えてみると、私の場合は二つの事を考えている。
一つ目、「言葉のフレーズを音楽のフレーズ」と一致させる。
まあ、当たり前ですよね。でも出来てない人多いです、本当に。イタリア人でさえ。
二つ目、「子音と母音の間に生まれるエネルギーを受け取る、そこにオケの音を合わせる」。これは、あんまり言う人いないので私独自の感覚かも。だから間違ってるかもな(笑
ただ、言葉で説明できないけど、素晴らしい(と私が思う)指揮者は皆やってる、自然に。自然過ぎて何をやってるのかわからないけど、彼らが手を上げて下ろすタイミングでオケが鳴ると、事象としてこう言うことが起こっている。と、思う。
とまあ、自分への備忘録的意味も含めて書いてみました。
最初の休憩で一緒に行ったイタリア人に話したら、次の休憩で「確かに!」と賛成してくれたのであながち外れてもないかなと思います。
歌い手は、フェルッチョ・フルラネットのフィリッポを聴けたのが収穫でした^^
カラヤンとのコンビをLD時代に見てましたが、まさか生で聴けるなんて…!
やっぱりレポレッロの印象の方似合ってるなぁと思うニヒルな声でしたが、それこそ母音の色、子音の使い方、一人際立ってました。
もう一回5時間はしんどいけど、彼を聞きに行ってもいいかな!
マエストロの復調にも期待したい〜!

