その昔、『秀吉と利休』(野上弥生子)という小説を読んだことがある。どんな小説だったか、すっかり忘れてしまったが、表紙だったか挿絵だったかの利休の姿だけ、強烈な印象があって、それだけは忘れないでいる。
と、先週の「歴史秘話ヒストリア」で「”ひょうきん”に命がけ~戦国武将・古田織部 美の革命~」を見たところ、利休の弟子であった織部が、時の権力者、家康に切腹を命じられ、利休と同じような最後を遂げていることを知り、驚いた。
利休の首を一条戻橋で梟首にした秀吉も凄まじいが、織部にまつわる一切を破壊し、徹底的に歴史から抹殺しようとした家康も凄まじい。
番組では、織部焼きが当時のゴミ捨て場から大量に発掘された様子を映し出し、難を恐れた大名や町人が一斉に、織部にまつわる焼き物を処分したと解説していたが、なるほど徳川300年の始まりというのは、そういうことだったのかと合点する。
時は1615年、大阪夏の陣が家康の勝利に終わり、豊臣の世から徳川の世に代わろうとしていた中、豊臣恩顧で茶の湯の師匠、織部の人脈、文化的影響力は、家康にとって最後にして最大の脅威だった。織部の目から見れば、家康は権力の簒奪者以外のなにものでもない。
昔から、織部焼きのアバンギャルドなところが好きだったけど、利休、織部のアートをつきつめていくと、その自由な精神は市民革命までつながりかねない。
そういう意味では、戦国時代は日本のルネサンスであり、その躍動は洋の東西を通じて脈打っていた、ということを改めて感じた。
割れを愛でる織部好み、その味わいが一段と深まった。

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