同社が発売したゲーム機であるPlayStation 2の次世代機として開発された。2006年11月(日本・北米)と2007年3月(欧州・豪州)に発売された。
ソニー、パナソニックなどが共同して開発した光ディスク規格であるブルーレイディスク、高品質なデータ転送が行えるインタフェースであるHDMIの採用、7.1chサラウンド・1920×1080の高精細の解像度に対応するなど、世界的な高精細度テレビジョン放送の移行に伴う形で進化が図られた。また、PlayStation 3の頭脳的役割を果たすCell Broadband Engineは複数の処理を並列的にこなすことで非常に高速かつ高度な処理を行うことが可能となった。
PlayStation 3の存在が公になったのは、2005年5月16日にアメリカ・カリフォルニア州で催されたコンピューターゲームの見本市であるElectronic Entertainment Expo(以下、E3)であった。
このときは試作品としての公開だったが、筐体は後に発売された製品とほぼ差異がなく、外部接続の端子類にのみ細かな違いがあった。コントローラーは柄が長いものが公開されたが、製品に付属されたのは従来のデュアルショックのデザインを踏襲したSIXAXISとなった。発売日は2006年の春と発表された[5]。
2006年5月に開催されたE3にて正式なデザイン、スペックと価格が発表されるとともに、発売日が11月中旬(日本では11日、欧米では17日)へと延期されることになった[6]。発売されるモデルはハードディスクドライブ容量が20GBと60GBのふたつであり、両者にはハードディスクドライブの容量以外にも細かな違いがあった。スペックについて当初は20GBモデルにHDMI端子は非搭載とされたが、HDMI端子を搭載したテレビ受像機の加速的な投入を受けて急遽搭載することとなった[7]。
発売2ヶ月前となる2006年9月、PAL地域(欧州の一部、ロシア、中東、アフリカ、オーストラリア)での発売が再々延期された。これにはブルーレイの読み出し装置に使われるレーザーダイオードの生産計画に遅れが出たためとされた[8]。このことは日本や北米地域にも波及し、日本では初回出荷が8万台程度にとどまり[9]、またSCEアメリカの最高経営責任者が「北米地域では2007年の4月あるいは5月までに在庫として製品が確保できるだろう」と語るほどであった[10]。
2007年11月11日に40GB/CECHH00モデルが投入された。このモデルは大幅なコスト削減が図られたが、その代償としてPlayStation 2用ソフトの実行機能などが削除された[11]。2009年9月3日には、内部部品の改良により軽量・薄型化が図られた120GB/CECH-2000Aモデルが発売された[12]。 そして2012年9月19日には、更なる軽量・薄型化が図られた250GB/500GB CECH-4000シリーズが発表された[13]。
PlayStation 2の特異なアーキテクチャ構成(VRAMバス幅が2560bit)のため、半透明なエフェクトやオブジェクトを多数描画するようなPlayStation 2ソフトウェア(例:Z.O.E)のHDリマスターにおいてPlaystation 3のVRAMバスの帯域が足りず、十分なパフォーマンスが出ない問題が浮上している。
Wikipedia 引用