〜はじめに〜
私のパーソナリティ障害は
・母親からの愛情不足。しかし過干渉でずっと怒られていた事。
・姉からのいじめ。
・父からの無視と急に怒鳴られ殴られるなどのDVそして父は姉が大好きで私を全否定する姿勢。
・劣悪な環境下で誰も助けてくれない状態で、
家に「安全な場所」が無かった事。
上記が主な原因で、
「人格を形成する時期」に安全な場所が存在しない事で人格が育たず
物心ついた時からパーソナリティ障害の時限爆弾を抱えたような状態で生きておりました。
それに加えて小学校でのいじめ、
母のバレーボール倶楽部のママ友の子供からのいじめがきっかけで爆弾が爆破し発症しました。
発症後の状態は本当に危うく、振り返ると辛いです。
そして、今も続く自己肯定感の低さにより起こるトラブルが特に辛いです。
普通の思考で生きてみたかったです。
この病気は家族から繰り返すものだそうです。
もう自分の子供には同じ事を繰り返したくないので、記します。
また、医師によると、子供は2歳までに物を壊したり、よくない事をして、母親に過度に怒られると「この人に捨てられてはいけない」と脳が判断してしまうようです。繊細な子には過度に当たる事は要注意だなと感じました。
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母は器用でテキパキ色々な事をこなし、料理や裁縫が得意で部屋も綺麗。強気で極端に正論が好きなB型です。
母はすごく変わっていますが、
母が問題だったというよりも、母の嫁ぎ先がまず問題でした。
母の親戚にお寺さんに嫁いだ方いるのですが、
母は父との結婚前にその親戚から連絡を受け、
「結婚は決まってしまったのか」
と言われたそうです。
母の嫁ぎ先である私の実家は、、
本人(母)が嫁いだ時点で、
義父、義母、義理のお婆、旦那(私の父)
が住んでいました。
みんなの仲は悪かったみたいですが、
お婆と義母(私の婆)の仲が悲惨で、
特に義母のお婆への当たりは酷いものだったらしいです。
偶然にもそのお婆がお寺さんでずっと家庭の事の相談をしていたそうで、
結婚前に気がついた母の親戚が、
本人(母)にやめた方が良いと助言をしたそうです。
本当に、「結婚しなければ良かったのに。」としか私も思えません。
決まってしまっていたからには、嫁いだ母。
地獄の幕開けでした。
25歳の母はお婆の介護と全員のご飯づくりが始まりました。
しかも、義母のお婆へのモラハラや八つ当たり、
虐待じみた介護には母も辛かったと思います。
また、母は家でピアノを教えているので収入はありました。
しかし、父のお給料がよくない上に父のお金遣いが荒すぎて、アパートで暮らす事が出来なかったのかな。と思います。
公務員の息子で散々甘やかされた贅沢病の父ですし。
そして、そんな地獄の中
母が27歳の時姉が誕生。
29歳で私が産まれます。
当時の父は仕事が忙しいとかで抱っこなんてされなかったらしいです。
母の陣痛の時、父は寝ていたくらい父は自分の事しか考えないというか、人の気持ちがわからない人です。
きっと母も苦しかったでしょう。
私の幼少期の記憶の母は話しかけづらい。。
という印象で暗い顔で黙って家事をしている姿しか覚えていません。
私は寂しさから姉にすがりついていた事を覚えています。
母はきっと、頑張って育ててくれていたのに、楽しい思い出が記憶に無いのは申し訳無いです。
また、父と母の怒鳴り合いの喧嘩と、
私のお爺お婆の怒鳴り合いの喧嘩を幼少期の私はよく見ていました。
そして、母からよく父の悪口を聞いていた私。
母の辛い顔が見たく無かったので
私「結婚しなければ良かったじゃん」
(本心はもう離婚して欲しかった)
と言うと
母「結婚しなかったら、あなたは産まれてないのよ!!」
と。まるで生まれた事が罪のように。
これを記憶のある限り3回言われており、
母が離婚できない、苦しい足枷になってるのは
「私が産まれてきたから」
という理解になってしまいました。
そんな劣悪な環境下で暮らす日々。
母は直接的な愛情を示さず、抱きしめるとかはしない人でした。
小さい時から1人の布団で寝かされていました。
褒められた記憶もありません。
私は肌の触れ合いがどれだけ欲しかったか。
誰かに触れて欲しいという感覚をすごく覚えています。
余談ですが、
姉もかなり良くない感じのアラフォーになっており。自分と同じように何か障害があるのではないかと思います。
②へつづく。