↑前回からのつづき。
高2長男は高1の文理選択のタイミングで
志望校について考えることになった。
「なんのために勉強するのかわからない」状況は続いていた。
将来の選択肢を広げるため
視野を広げるため
生涯年収の話
仕事をどういう立場でしたいのか
親の学生時代の話
私が考えられるひととおりは話してきたが
長男にはひびかなかった![]()
進学をしたくないならば就職の道もあること。
最後は自分で決めること。
いろいろな道を一緒に考えた。
長男はもともと好きな分野があり
長く続けてきた習い事もあり
それを極めていくならば理系だった。
「こんなに苦しい選択が待っているなら
習い事も始めなければよかった」![]()
自分の外側に原因を置き
夢中で没頭して楽しんできたことを否定して
苦しい選択から逃げようとした。
自己否定をしてまで自分を守ろうとしていた。
「なんのために勉強するのかわからない状態で理系を選択することは自分をより苦しめることになるのでは」
「文系でも好きな分野につながるのでは」
私は無理のない進路選択を提案し
長男も文系を選んだ場合に選択したい学部を考えたりしていた。
それでもテスト勉強も全くせず
成績を学年の最低ラインに落としていく長男がいた![]()
順位を確認する私に
「何位だったらいいの?」
と長男が言った。
何もかもが違ったのだろう![]()
長男の進路選択にひびく言葉を
私が持ち合わせていないことを悟った。
もやもやとした気持ちが続き
長男の進路について自分なりに調べる中で
私はある本を読み
自分の中になかった新しい視点に触れた。
そこにあった言葉を長男に伝えたいと思った。
「勉強とは自己破壊である」
長男が本を手に取って読み始めた。
本の中にあるその表現の意味を理解しようとしていた。
つづく。


