この夏休みは、娘たち二人に留守番をお願いすることが多く、

家の中のことを少しずつお願いしたいしてみました。

 

洗濯干しを二人で協力してやっておいてとか

お昼はパスタ茹でで好きなソースかけて食べてね!とか

夕飯は麻婆豆腐にしたいから、素はあるのでやってみてとか。

これまでお願いしてなかったようなことを少しだけお願いする日もありました。

あわよくば何か気づいてやってくれないかなーとか思っていたけど

その妄想はあまりに甘く(笑)、自分から何かするってやっぱり興味がないと難しいと思いました。

 

7月くらいから、労働の対価を払おう、とお手伝いをした場合その内容によって

対価を支払っています(というほどの額ではないけど)

 

…とはいえ、最初の2,3日は多少進んでやってくれたものの、

やはり自分から進んではやらないし、こちらからお願いして(だいたいの時はイライラして)

ようやくやってもらったことに対してお金を払う切なさというか、これってなんなんだろ?みたいな

思いもあってこのシステムがあってもなくても変わらないのかもなぁと思っていたころ、

 

「今日は、洗濯干しお願いできるかな?」と長女に言ったところ

「えー!!」という回答。

 

…「あのさ、私週7日あって、6日やってるんだけど」と思わず出てしまった私の言葉。

長女は無視してその場から離れてしまったので、

頼んで嫌な思いまでしてお金払うってなんなん??と思って結局は自分で干していくことにしました。

 

そんなモヤモヤした中で思ったのは、

一つ目は、頼まれたってやりたくない日もあるという長女の気持ちをまずは受け止められたならよかったんだなと思ったこと。

「えー!」って言ってみたい、「なんで私が」という思いももちろんあるのは当たり前で

私は「うん、いいよ!」という素直な反応をどこまでも求めていたんだなと思いました。

 

二つ目は、そもそもこの家事の手伝いも、家事自体も普段私があまり好んでやっていないということが

娘たちにも伝わっているのではないかということ。

私の役に立とうとか、手伝おうとかいう気持ちより、私の嫌なことを押し付けられているというのを

肌で感じているからこそ、進んでやろうという感覚が育たないのかもなと思いました。

 

料理にしても洗濯にしてもその他家事にしても…

手を抜くこととと嫌な気持ちを押し付けあうのはまた別の話で、

もちろんやりたくないことはやりたくない日もあるけど、もっと快くやれたらよかったのかなと思います。

 

…で、結局この対価を払う制度は続けるにしても、

私から声をかけるのはやめようかなと思います。

声をかける=やってくれるね?という圧が無断で生じてしまうので、

「断られる時もある!それでも頼んでみる」ということが体感できるまではひとまず私ができるだけやろうかなと思います。

 

そんな気持ちでいたら、次女が「お皿洗いたい」と言い出したので

おっかなびっくりではあったものの隣で見守りながらやってもらいました。

そっか、やりたいときにやれないとやっぱりやらないよね。私だってそうだし…


最近に限らず私は要求したことに応えてもらいたい、と思ってるし、

そのかわり、そんなすごいことは要求していないつもり、とよくわからないことを思っているなということに気づきました。


ここからでもなんとかなるかな、なんとかしたいな、そんな気持ちで日々過ごしていきたいと思います。


娘たちよ、いつもありがとう。



お読みいただきましてありがとうございます。