生きていたらずーっと続く、片づけや掃除。
先日こんな記事を読みました。
みんな苦手なことがひとつふたつあるように、
片づけが苦手、掃除が苦手ってこともあると思います。
仕事だったら、適材適所とか、得意な仕事を選ぶとかである程度回避できる苦手なことも、
自分の家の中ではなかなか回避できない。
家族のだれがやってもいいけど、子供が小さかったり、役割的な部分ではやっぱり自分がやるしかないんだろうなって思っちゃう。
他のできないことは避ける手段がありそうなのに、家の中となると逃げ場がないなぁと思います。
そうやって自分をどんどん追い詰めていく。
片づけなくちゃ、片づけられるようにならなくちゃ、いつもキレイしていないと!…
自分の中でどんどん追い込んで行ってしまう。
自分の家なのに追い込まれる。
とても不思議ですね。そしてとても悲しい。
私は世の中には片づけられない人はいないと思うけど、自分がそうであったように、
苦手で嫌いってことは大いにあると思います。
それでいいとも思います。
縄跳びで二重とびができない
高いとび箱は飛べない
逆上がりができない
こういうものと同じように、
片づけができないの、苦手なの、って言えたらいいのになって思います。
それだけ、なんだろう、出来て「普通」なことなのかなって。
片づけができるかできないかは
いかに自分の「出来なさ」みたいなのを認めてしまうことと、
理想を高く持ちすぎないことかな、と思います。
まずは自分の片づけに対するイメージを緩める、思考を緩めるって大事だなと思いました。
勇気づけのお片づけ®︎提唱者の丸山郁美さんによれば、
「片づけは、変化に対応すること」
ゴールはいつでも部屋がキレイなわけでも、何かで揃っている収納でもない。
ゴールがあるものでもないのでしょう、きっと。
日々変わる暮らしを楽しみながら対応していくこと。
人が暮らせば散らかって、ゴミが出て、汚れるし埃も積もる。
それがおそらく当たり前。
これをないものにしようとするから、バランスが悪くなるんだろうなと思います。
散らかったり片づけたり、整えたり見直したり、
私は片づけは、暮らしをアップデートすることだと思います。
ゴミが溜まったら捨てる
新しいものを買う
子供が成長したから部屋の配置を変える…
毎日の暮らしと変化を楽しんで、
片づけを繰り返していたら、過ごしやすさは勝手についてくる。
そんな感じでやっていけたらいいのになと思います。
それが難しいのですが。
でもそんなことを思います。
我が家はいつもに増して少々荒れてます・・・笑
私の仕事が変わり、娘たちの進級に伴い、モノが右往左往しています。
加えて大量のおさがりをいただき、その行き場がなくて置きっぱなしになってたし、
まとめた資源ごみが水曜までゴミ収集に出せなくて玄関を占拠しています・・・(^^;
これもまた変化に対応する過渡期。
水曜日がくれば玄関はもう少し広くなるだろうし、
学校が始まれば新しい学年で必要なものもおのずとわかるのだろうなと思います。
そんなときもぜひ楽しんでのりきっていけたらいいなと思います。
そしてそんな中、一人妄想してワクワクしていることがあります。
こちらはまたまとまったら書きたいです。
長くなりました。
お読みいただきましてありがとうございます。