寒くなってきました。
寒くなってくるとやりたくなることがあります。
なんとなく編物をやりたくなります。
セーターが作れるとか、素敵な何かが作れるとかではなくて、作れるのはせいぜいマフラーくらいなのですが、編物ができることにどこか憧れているのだと思います。
先日のランチ会の話の中で
「女性は花瓶が家にあって花を飾ったりする習慣がなかったとしても、片づけるときなかなか花瓶を捨てることができない」という話がありました。
花瓶で花を飾るような素敵な女性になりたい、という願望の現れかもしれない。
そんな話でした。
私にとって「花瓶」はきっとこの編物なのかもしれないと思いました。
編物ができるお母さんは素敵だとか、温かい人柄そうだ、とか…
自分にないものがそこにあるから憧れるのだと思います。
この花瓶がもしも「花を飾れない自分」にフォーカスするモノになってしまって、苦しくなるとしたらそれはきっと手放して違う方法を見つけたほうが得策なのかなぁと思います。
でも、「あ、こんなふうなことがしたいんだね」と気づくのもひとつだなぁと思います。
私の場合、編みたい自分と(難しいものを)編めない自分の落差にやや落胆しますが、
苦しくはならないなぁとここのところ思えました。
編物の本も何度も捨てようと思うんだけど、なんとなーく踏み切れないのには意味があるのかなと思ったり(ちゃんとやりたいなってどこか思ってたりもして)。
編物は適度な達成感と、少しの間でも没頭できる時間になります。
結局は何か難しいものを作るよりも、こういう時間が好きなのかもしれません。
編んでるだけで柄が出てくるOpal毛糸が好きです。毛糸自体が結構するので、手間とを考えると作るよりも商品買ったほうが安そうなんですけどね。
でも編みながら柄がでてくるのてついつい頑張れちゃう

何を残すか手放すかを考えるとき、
そのモノをみてどう思うか、自分が楽しくなるかならないかそんなことを少し考えると面白いかもしれないですね。
今年の編物、寒いうちに仕上がりますように。笑