こんにちは。

ブログをしばらく更新していませんでした。

大型自粛週間ですが、わたしはトウ-リーダー養成講座レベル2クラスのオンライン講座を受講しています。

 

足指をとおして、人生を読みといていく手法を学んでいます。

 

手法というよりは、自分自身の人生どうだった?本来の自分を生きていますか?という私の中の本音や本当の目的、才能などの宝箱を見つけていくプロセスです。

 

さきほど、3日目が終わりました。

 

今回一緒に宝探しをする旅の友は、私を入れて4名。

 

全国各地から、はじめましてなのにデジャヴ感半端ない愛おしいメンバーです。

 

講座が終わると、眠気に襲われるのですが今日はブログを書きなぐってから一休みしようと思います。

 

さて、タイトルの人生の評論家。

 

講座では、それぞれの足指のテーマをもとに、過去の体験やその時の感情、今の思いなどを思いつくままシェアしていくのですが、何を言っても受け止められる安心安全の場があることで、思いもよらないことが口をついてきて自分でも驚く、そんな時間です。

 

私は、現実世界がどこか薄皮一枚のベールのむこうで起きている感覚になることがあります。

もうひとりの自分が、俯瞰してながめているそんな感じです。

 

悔しかったり、悲しかったり、怒ったり、泣いたり 自分の感情に素直にしている人、そうね子どもみたいな人を、どこかで哀れんだりうらやましかったりするんですが、

 

自分自身が泣いたり、怒ったりすることを禁止するおきてをこれまでのどこかで決心していたのではないかと思うのです。

 

それは、何歳のどのエピソードか思い出せないけれど、きっとあるはず。

 

どこか醒めた目で、自分のことを第三者のように思っているのかもしれません。

 

これまでもさんざん、自分を大切にしてと他人には言うのに自分にはどうだったか?

 

怒ったり、泣いたり、自分の感情に正直でいたかといわれるとそうでもない。

 

けっこう我慢してきたと思います。

 

私は長く対人援助の仕事をしてきた中で、自己覚知という終わりのない自分さがしの旅をしてきました。いえ、してきたつもりです、たぶん。

 

相手の立場や価値観を客観的にとらえるトレーニングをしているうちに、自分が何が好きで、何を嫌いか よくわからなくなっていたのかもしれません。

 

足指をとおして語り合うなかで、私って何者?を話す=放す、言える=癒える の入り口に立った気がします。

 

まとまりのないブログを、自分自身に投げかけて

 

 

ひと休みします。 おやすみなさい。