妻は子供達の宿題の丸つけ、長女はその隣で工作、長男はニンテンドースイッチでマイクラ、次女はタブレットでYouTubeを見るか長男に言いがかりをつけているだろう。
それが、我が家の普段の様子である。
何不自由ない日常だ。
多くの人が毎日それぞれの何気ない日常を過ごしているだろうが、今日はそんな何気ない日常が奪われた日でもある。
10年前の今日、私と妻は西宮ガーデンズで買い物をしていた。
妻のお腹には夏に出産予定の長女がおり、残りわずかな2人きりの生活を楽しんでいた。
確か、誰かに贈り物をする目的でガーデンズに来ていたはずだ。
宅配便の宛名書きをする時に、グラっと揺れた気がして少し酔ってしまったことを覚えている。
そのまま気にもせず、当時、2人で出かけると必ず午後3時のお茶を楽しんだはずだ。
シフォンケーキにしただろうか、それとも身重の体重管理に気をつけて丸福珈琲店に入っただろうか。
買い物を楽しんだ我々は夕方に帰宅し、自宅で夕飯を食べる用意をする。
何となくつけたテレビ画面には壊され飲み込まれた日常が映っていた。
日を追うごとにその被害が積み重なり、たくさんの命が犠牲となったことがわかった。
東北の震災から10年が経過した。
未だに発見に至らない方も多い。
そして、ふるさとに帰ることのできない方もいる。
町の復興はいくらか進んだかもしれないが、苦しみから解放されていない人が大勢いるのも事実である。
当時、妻のお腹を見て、大変な時期に生まれる我が子を心配した。
そして、大切に守らねばならんと思ったが、同時に私にもしもの事があったら誰が私の家族を助けてくれるのだろうとも思った。
今もそう思う。
状況や要因は異なるが、この気持ちだけは10年前と不変である。