コマオと嫁にまだ子はない。
結婚して1年が、同棲と合わせると4年が経とうとしているがまだ子はない。
お互いそろそろ欲しいなぁとは思っているが、肝心のコウノトリは豊岡でのんびり羽を休めている。
まったくこればっかりは仕方がない。
コマオの寝床から車で数十分のところに中山寺がある。
地元の人たちは子どもが欲しければ一度は中山寺に行っておいでとコマオらに促す。
コマオらは言われるがままに、休日を利用して宝塚へと車を走らせた。
阪急の駅からほど近くにある中山寺は想像以上に大きなお寺だった。
ちょうど七五三に来ている家族も多く、他にも妊婦さんやコマオらのような夫婦もちらほらいた。
身重の方にも優しいつくりで、エスカレーターが設置されていた。
本堂を目指して歩くコマオらは敷地内のマップを見て考える。
別に今、子どもが宿っているわけではないので安産祈願はおかしい。
やはり子授かりだと確認し合い、そのお地蔵さんを目指した。
子授かりのお地蔵さんはお寺の一番奥にあった。
本堂のほうは平日にもかかわらず人がたくさんあったのに、こちらはちと寂しい。
コマオらはそれぞれ、子どもにご縁があるようにと五円玉を賽銭箱へ投げ、手を合わせた。
コマオは神社やお寺で手を合わせるのがどうも苦手である。
何を考えていいやらわからなくなり、どうにもお願い事に集中できない。
そこには本来の目的からかけ離れた下らない欲や、日常生活上の反省点がまぶたの裏に現われ、結果、こんな事をしているようでは誰もコマオの願いを聞いてくれないのではと考えてしまう。
今回は嫁もいたので大丈夫だとは思うが、コマオはこういう不謹慎をぜひとも改善したい。
時代は進む。
生活は何でもかんでもオートメーションと化し、時代の変化に気付かずにいると周りには誰もいなくなる。
手を差し伸べてくれる者は少ない。
しかし、いつの時代も神社やお寺は人々を受け入れ、人々は自らの足でそれらを目指す。
コマオらは一本十円のお線香を焚き、お地蔵さんをあとにした。