時の政権が天皇を罰する?????
こういうことは歴史上複数回も起きています。
流石に斬首なんてことはなかったようですが、
逆らう天皇を時の政権が流刑に処す。
流刑が皇族には最も重い罰だったようです。
日本史で習ったところでは、
764年恵美押勝の乱では淳仁天皇が淡路。
785年には桓武天皇の弟である早良(さわら)親王も淡路に。
この事件は冤罪ともいわれ、早良親王は無実を訴え絶食し抗議、
流刑地につく前に河内で悶死なされたといいます。
怨霊となり後の皇室に祟りが続出・・
為のちに「崇動天皇」というイミナを送り、丁重に祭ったのだとか・・・。
鎌倉政権下、1221年承久の乱では後鳥羽は隠岐へ、
その皇子である雅成(まさなり)親王は但馬に、
頼仁(よりひと)親王は備前に。
土御門上皇は土佐、
順徳天皇は佐渡と流刑されています。
1332年・・二度目の倒幕を企てた武闘派の後醍醐天皇はこと破れ、隠岐へ。
隠岐からの脱出劇が後の建武の新政につながります。
この時の楠木正成は忠臣の代名詞となります。
新政権すなわち南朝です。
天皇家が分裂する南北朝時代(56年間)・・・・
その後幕末孝明天皇につながるのは北朝の血筋と言われてきました。
何故か皇居には楠木正成の銅像が大事に祭られてるんだとか???
ところで現政権は
皇室にあまり好感情をもってないように観えたりしちゃうんですけど・・・
どうなんだろう??