家元>アマチュア(の中の真の天才)>プロ>アマチュア(凡人)
↑は、おれの基本イメージね。↑の”プロ”のサンプルは剣豪で言う宮本武蔵かな。
アマの天才の例は難しいな。アマは名前が残りにくいからね。それに結局は、プロに
転向してしまう例が殆どだからね。しかし、強いて言えば、文学なら稲垣足穂かな。
「家畜人ヤプー」の沼正三(正体は今も不明らしい)とか、梶井基次郎とかね。
何故、こんな事を言うかと言うと、専門家ってのは、視野狭窄に流れ、袋小路に
陥りやすいが、アマチュアは発想が自由なので新しい手法を開拓する可能性が
ある、って事を言いたかった。千葉周作だって発想はアマチュアそのものだった
訳だ。後で、プロ中のプロになった訳だが、基本的発想は、素人時代に既に持って
いたはずなんだ。
功名心でムラムラ、ギラギラしてるのがプロ。宮本武蔵はプロ中のプロ。生まれた
瞬間から、零才時からのプロだわ。で、表題の最強である家元ってのは、世襲もしくは、
養子縁組で一子相伝で”芸”を伝える門流の事だね。これが、最高、最強。あくまで、
おれの中のイメージでは、だよ。
:2010/12/26(日) 14:31:34 ID:Hd0AfmbT
専門家の視野狭窄のサンプルだけどね、大昔の「週刊競馬ブック」の巻頭インタビューに
今のJRA、日本中央競馬会の最高幹部の大島某って人が、「ブック」の記者の質問に
答えていたが、ブック誌の、「阪神に坂路コースを設定する構想は無いのか?」との質問に
その大島某理事は「関西馬を鍛えるには、坂道なんか無用。馬のトレーニングなら斥量を
背負わせれば、充分」と即答してたよ。おれは何か納得いかなかったが、そんなもんか、
とその時は思った。
しかし、その後、77年前後かな。関西馬の有力新馬が、次から次へと故障、リタイヤの
オンパレードだ。ノトボーイだのダイタクオーザだの無事なら日本競馬史を塗り替えたで
あろう俊英が全部パーになった。翌々79年はもっと酷く、コウユウとボンモーの仔、
ミズホショウリュウ、エリモジョージの弟、ヒルゼンヒーローと言ったステーヤー血統の
新馬が競走中か直後に致命的故障を発症させちまった。父ボンモーとは、希少中の
希少のステーヤー血統であり、これが桜花賞馬に配合された奇跡的な配合馬だった
のにパーだ。
まあ、みんなには分らん、大昔の関西のレースの話だがね、おれが言いたかったのは、
農林水産省のおそらくは天下りであろう、中央競馬会の理事の知識なんか、如何に
専門家であると言ってもそう言った悲惨な結果を招くって事なんだ。その後、関西の
トレーナーは皆、栗東に出来た坂路コースやプールやウッドチップのコースを使って
2歳馬をトレーニングし、10年かけて、関東馬を圧倒し、今日に至っている。斥量を
課せるような馬の脚に致命的負担のかかる競馬界理事のお奨めを拒否した栗東の
調教師の判断は正しかった。
:2010/12/26(日) 14:33:18 ID:Hd0AfmbT
大東亜戦争だってそうだ。海軍軍令部には、英米の潜水艦による輸送船への攻撃、
と言う発想がまるで無かった。信濃や大鵬といった新鋭空母の末路を見よ、だ。これが
”プロ”なんだ。視野狭窄。専門バカ。日露戦争のおりの203高地を巡る攻防戦での
第三軍参謀の伊地知某の作戦を見よ。アマチュア的発想の児玉源太郎の介入なくば、
戦争は敗北していただろう。”プロ”とは、かくの如く、いつの時代も、俗流、手垢(あか)の
ついた前時代の発想を脱却仕切れない、野心だけがギラギラした、成り上がりのなれの
果てなんだ。
おれが長々とまるでスレチな繰り言を述べ来ったのは、他でも無い。諸君らが、敵対している
仮想概念イルミって連中は今申し上げた、間抜けなプロとは訳が違うぞ、って事なんだ。
連中の発想は豊かだよ。平行宇宙にだって手をつけているはずだ。未来を変えるどころじゃ
ないぞ。過去だって、「遅延選択」の技術で改変出来る、と連中は既にジャッジしているんだ。
”ドイッチュの脳”だよ。諸君らだって、映画やテレビで「タイムマシーンにお願い」(原作は、
コンタムリープ、量子跳躍)とか、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」とか観てるだろ?
連中は、専門バカのゴイムの”プロ”を憐れんでいる。ましてや、素人をやだ。連中が恐れるのは
ゴイムの中の真の少数のアマチュア的発想の天才だけだが、シオンの長老のプロトコールに
ゴイムの中の天才を無力化させるのは簡単だって、大言壮語されてるだろ?
:2010/12/26(日) 14:35:06 ID:Hd0AfmbT
それなのに、何だ。諸君らのこの国は。「政治家は政策で選べ」だって?これは、「視野狭窄の
専門バカに全てを委ねよ」と言う命題とどこが異なるんだ。「政策が大事です、マニフェスト選挙云々」
イルミは哄ってるよ。「政策、政策」と連呼している政治家の御面相を見よ。与野党の区別なくだ。
90年代の最大の政治的キャッチ・コピーが、「政治家は政策で選べ」だよ。だれが糸を引いている
のやら。おそらくは、役人(政策通だ)とアカデミズム(それで飯食ってる訳だ)が自分に都合良い
から、疑いもせず、その秘められた真意にも思い至らず、乗せられて音頭を取って、大合唱したんだ
ろうが、大元はイルミなんだよ。イルミが言わせているんだ。高級官僚や大学教授には、さぞかし耳に
快いキャッチコピーだった事だろうよ。
イルミはこのレスの表題の「家元」に相当する存在だ。一子相伝、阿吽(あうん)の呼吸で、「歴史の
知恵」を代々、受け継いで来た連中だ。これに抵抗するはずのゴイムの”護民官”たるべき政治家が、
専門バカ的視野狭窄でいいんかい?そんなんでこの国は委員会?
おれがほとんどの市民運動家を評価出来ない理由は、彼らが、このイルミの策略であるムーヴメント、
「政治家は政策で選べ」を唾棄するのでなく、大歓迎し、それに乗って、ムーヴメントを助長させ、
時代の趨勢に完全に埋没している体たらくであるからなんだ。
:2010/12/26(日) 14:39:16 ID:Hd0AfmbT
おれのお奨めは、この90年代のトレンドとは異なる。「政治家は政策では、選ぶな。顔で選べ」だよ。
御面相で選んだ方がまだ、真実に肉薄出来る、可能性が残されている、と思われるからだ。
人間には、長い人生で培われて来た、人相や雰囲気、人品骨柄と言う隠しおおせない、徴(しるし)
が、刻印されているもんだよ。
それと、基本は、国家観、歴史観、政治哲学的理念それらを自分自身の言葉で語る能力だ。
また、胆力(度胸)や臨機応変の柔軟性、国民の意思を代弁し得る、発想と視野の有無、国民の
生命安全を担う事への自覚の有無だ。これを判断するには、「政策」でほんとに委員会?ニッポン人よ、
と言うのが、このヤケクソ的長文の主旨なんだ。
では、諸君らには良い御年を。本年は駄文につきあって下さり有難うございました。