ふるさと
「私とまち」について、ブログに初登場の【小さな・まっきー】が書かせて頂きます。
このお題を担当することになってから、書きたくなったのはふるさとのこと。
私のふるさとは道東の「上湧別町」というまち。人口5300人ほどの小さな町で、生まれてから大学進学までの19年間を過ごしました。
デートスポットも、ショッピングセンターも、JRすら通っていないこの町はまさに「田舎」。でも、私や私の友人には、「田舎出身」という引け目は全くありません。
小学生のころ、川原の石で炉を組んで火をおこし、魚を釣って焼いて食べてみました。生臭く食べられたものじゃありませんでしたが、それで内蔵を取らなきゃ魚は食べられないんだということを学びました。
中学生で初めて彼女ができたとき、デートは、川原や林などの自然の中の散歩(冒険)しかやることがありませんでしたが、人とじっくり向き合う大切さを知りました。
そして高校時代、学校に背をむけてスネていた私。歴史だけは好きだった私を見つけ、「学校が嫌なら博物館で勉強しろ」と拾ってくれた恩師の学芸員と出会いました。
今は大分さびれてしまったけど、たまに顔を出すと、商店街の皆さんは26歳になっている私のことを今でも【ゆうちゃん】(本名、ゆうや)と呼び、蕎麦屋のおばさんも、書店のおじいちゃんも、居酒屋のマスターも、「最近は元気だったかい?」「大学院はどうだい?」「次はいつ帰ってこれる?」「嫁取りはいつだ?」と、話題が尽きません。
そこには、ふるさとにしかない安心感があります。そして、自然や人を含めて、地域が育ててくれたという恩義があります。だから、田舎出身だからっていう引け目は無いんです。
都市部と田舎を比較するのはナンセンスかもしれないけれど、札幌でもそんな地域があればいいなと、このプロジェクトに参加して改めて思う今日この頃です。
私を育ててくれた上湧別町は、今年10月、隣町との合併により、地図からその名前が無くなる予定です。
でも、町の名前が変わっても、そこにいる人や自然が変わらなければ、それで良いと私は思っています。
以上、体重120キロの小さな・まっきーでした。
このお題を担当することになってから、書きたくなったのはふるさとのこと。
私のふるさとは道東の「上湧別町」というまち。人口5300人ほどの小さな町で、生まれてから大学進学までの19年間を過ごしました。
デートスポットも、ショッピングセンターも、JRすら通っていないこの町はまさに「田舎」。でも、私や私の友人には、「田舎出身」という引け目は全くありません。
小学生のころ、川原の石で炉を組んで火をおこし、魚を釣って焼いて食べてみました。生臭く食べられたものじゃありませんでしたが、それで内蔵を取らなきゃ魚は食べられないんだということを学びました。
中学生で初めて彼女ができたとき、デートは、川原や林などの自然の中の散歩(冒険)しかやることがありませんでしたが、人とじっくり向き合う大切さを知りました。
そして高校時代、学校に背をむけてスネていた私。歴史だけは好きだった私を見つけ、「学校が嫌なら博物館で勉強しろ」と拾ってくれた恩師の学芸員と出会いました。
今は大分さびれてしまったけど、たまに顔を出すと、商店街の皆さんは26歳になっている私のことを今でも【ゆうちゃん】(本名、ゆうや)と呼び、蕎麦屋のおばさんも、書店のおじいちゃんも、居酒屋のマスターも、「最近は元気だったかい?」「大学院はどうだい?」「次はいつ帰ってこれる?」「嫁取りはいつだ?」と、話題が尽きません。
そこには、ふるさとにしかない安心感があります。そして、自然や人を含めて、地域が育ててくれたという恩義があります。だから、田舎出身だからっていう引け目は無いんです。
都市部と田舎を比較するのはナンセンスかもしれないけれど、札幌でもそんな地域があればいいなと、このプロジェクトに参加して改めて思う今日この頃です。
私を育ててくれた上湧別町は、今年10月、隣町との合併により、地図からその名前が無くなる予定です。
でも、町の名前が変わっても、そこにいる人や自然が変わらなければ、それで良いと私は思っています。
以上、体重120キロの小さな・まっきーでした。