8月15日は終戦記念日、例年は晴天の日が多いのですが
今年は大型の台風上陸に見舞われました。
戦争の記憶は幼年のためあまり記憶がなく、
一度だけ秋田の油田の爆撃を竹やぶに逃げた記憶が薄っすらと
あります。鳥海山の裾野の方向の夜空が赤いのを
遠くから見た覚えている程度です。
父が終戦になり、舞鶴からの帰ってきたことも少し記憶があります。
同じ村から四人が海軍へ入隊したのは40歳過ぎてからと
聴いていました。本来この年齢の招集はなかったらしく
日本も敗戦間近だったのかと推察されます。
戦後、舞鶴は海外からの引き上げ船の港となりました。
関西に赴任する機会があったので父の任地を
行く機会がありました。舞鶴港は地形が入り組み、美しい良港でした。
父たちは4人が毎年、海軍仲間の親睦会が各々の家で開き
舞鶴の話を楽しそうに花を咲かせていました。
父は5人男子の兄弟がおり、二人の弟が戦死しています。
支那事変戦死し、金鵄勲章を頂いた叔父さんの
遺志を継ぐという所以で私の名前が付けたと聞きました。
お盆のお墓参りは寺の入り口一等席に墓石があり
寺の檀家に3人の金鵄勲章の受けた墓がありますので
まず最初にお参りをして、それから先祖代々の墓に向かいます。
その頃に咲き花「センニンソウ」を捧げたいと思います。
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