このバラは妖艶な花色と花形がマリヤ・カラスに準えます。

ここで「マリア・カラス」について少し触れてみたいと思います。

1923年ギリシャ人の子としてニューヨークに生まれました。
14歳の時母とともにギリシャのアテネ音楽院に入学、師のイダルゴに彼女の声を
猛烈なレッスンで基礎を磨きました。
41年にアテネ歌劇場で「ボッカッチョ」でデビュー。
この年はドイツ軍がアテネに侵入されアテネは戦場となり、
彼女は戦争協力者として職を失い、ニューヨークへ。

その後イタリアへ渡り、47年「ジョコンダ」でのイタリアデビューしました。
その後、いろいろのオペラに出演し、49年に「ワルキューレ」を歌っていた時に、
風邪で倒れた人の代役として「清教徒」のエルウィーラをも歌い、
イタリア中を驚倒させました。

それ以後、彼女の芸域はほかの人には想像もできない広範囲なものとなった。

コロラトゥーラの技巧と、ドラマティコの力量が、ともに完璧でない限り歌えるものでありません、
それは言うまでもなく人間業とも思えない見事にものです。

同時代のライバルにレナータ・テバルディがおりますがミラノ・スカラ座では共に
カラス派とテバルディ派が争う熱気もまた第二次大戦後の時代に
特有なものであったというべきかもしれない。

その後、彼女の体重が約92キロが63キロに減量させ、マスコミを騒がせ、
その後メトに出演、58年にローマで有名な「ノルマ」第一幕で
キャンセル事件を起こす。

599年に夫メネギーニと別れ、オナシスとの結婚の話がせけんを騒がす。
この頃から極端に舞台に出る回数が減ってしまう。
だか、オナシスは再婚相手にジャックリーン・ケネディを選び、
カラスは孤独のままとなる。
74年から75年にかけて世界をコンサート・ツァー。

日本の札幌が最後の地になった。

そして77年パリで死去。心臓発作と言われるが、はっきりしない。
彼女の遺品もほとんど行方不明になってしまった。

(オペラ名歌手201-オペラハンドブック編から引用)

さて、このバラもマリア・カラスの強烈な印象を物語るものです。

ローズピンクの花付がよく丈夫なバラです。
1965年・メイアン・HT
1968年AARS受賞