30年前、朝からテレビは崩れたビルや高速道路を映し出していました。
朝の会で当時担任だったT先生もそのことに触れていました。
帰宅してもずっと地震のことをやっていて、小学生ながら「大変なことが起こっている」となんとなく感じていました。
翌日、T先生が話しました。
学校で寄付が始まることになったから。
「神戸は大変な状況です。大切な家族を一瞬で亡くした人、寒くて震えてる人、食べるものが行き渡らなくてお腹をすかせている人がいます。できることは限られていますが、自分たちでできることの最大限をしましょう」
というようなことを言っていて、「やっぱり大変なんだ」と思いました。
当時、寄付なんて知らなかったから「寄付っていくらなんだろう」みたいなことを友達と話したのを覚えています。
確か「1円でもいいんじゃない?」って悪ふざけしながら言っている子がいて「1円でいい」みたいな雰囲気がクラスに広まりました。
帰りの会。
T先生は泣きながら「いくらと決めることはできないけどとても悲しいです」みたいなことを話していました。
たぶん金額ではなく、困っていそうな人がいるのに
手を差し伸べない、「1円でいい」と投げやりな態度、様々な状況をみて泣いたのかもしれません。
(でも小学生だから、、、)
T先生「夜も凍えて食べるものも困っている人を目の前にしてあなたたちは1円差し出せますか?」
みたいな話をしてました。
その話を聞いたとき「お家に入れて温かい食べ物と寝床を貸す」と家の間取りを思い浮かべていたけど、たぶんそれは違ったな、、
神戸の人に小学生の自分ができることは寄付することだけ。
帰宅して、先生の話と学校で寄付が始まることを母に伝えると寄付用のお金をくれました。
(当時お小遣いは友達と遊ぶときにお菓子代200円もらう形式でまとまったものはなかった&お年玉は母銀行に預けて永久に引き出せない)
10年ほど前、神戸に行きました。
町並みはあのとき見たテレビの光景とは全く違ったけどポートタワー近くに震災当時のままを残したものがありました。

(写真はリンク先から拝借)
その時も先生の言葉を思い出しました。
あれから30年。
先生も定年退職している思うけど、まだ先生の言葉を覚えていて違う形でなにかの災害のときには寄付続けています。
(一応毎月の寄付も国境なき医師団にしています)