けして彼らを美化しようとか
持ち上げようとしているのではありません。
正直、
私たちのような田舎の寺は
皆さんお参りしたら必ず
何もなくとも「お茶飲して」帰るのが普通です。
法事では
和尚さんと近親者に
お斎を供養し
酒席で故人を偲び合う
普段でも
愚痴を言ったり、
仏ごとの相談をいの一番に
住職さんに聞いてもらう。
ご先祖様に手を合わせ
お茶を飲みながら
心配事を和尚さんに聞いてもらい
寺を出るころには
顔が明るくなって家に帰る。
そんなことを少しずつ
積み重ねて
家族の様子、地域の繋がり
どこでだれがどういうつながりを持っているか
子供をよく見ている親のように
檀信徒をおおよそ把握しているのが
本来の住職だと…
少なくとも私に限っては
檀家をもつ身として
そのようなものだと自負して
務めております。
彼らが行っているのは
なんてことはない
私たちの地方では当たり前のこと。
でも、それを今
彼らは東京という
宗教倫理の薄れた大都会でおこなっている。
近代、
抱えている檀信徒が急激に増え
住職が喪主の顔も知らないことは当たり前、
泥棒や強盗を心配して
常に山門を締め切っている旦那寺も多いと聞く、
ましてや
若い世代の宗教離れは歯止めが利かず
無宗教であることが
美徳だと臆面もせず言ってのける者もいる。
しかし
そんな現状を良しとせず
青年僧である彼らは
若さを武器に
都会での寺の在り方を模索しつづける。
老耆宿の方々には
それがおままごとに見えても
その行動力は
実際
世間に注目されているではありませんか。
やってることは破天荒でも、
もはやあきらめが入って
物わかりの良いふりをして
なんにもしないでいる
都会の坊さんより、
彼らのが
ずっとずっと
坊さんのスペック高いですよ。
よーし!
私も明日から
【僧職女子】と言い続けてみようかな~
あ、でもお坊さんは
「職」ではないんだよなあ。
そこがちょっと…
え?
その前に
このトシで「女子」とかないって…?
…(汗)ううう…