寺とは、
「本来の命としての生き方」を
学ぶ場です。
お釈迦さまが
その真実に気づき
転法輪(布教)を下さった…
その真実を学ぶ場です。
沢山の命と繋がって
生かされている
私たちの命。
命をもっている存在は
まず一番に
「自分」が大事
「自分」が幸せになりたい
それが真実です。
でも、
その「欲」のまま
「欲」に振り回されて生きていけば
そのエネルギーに
他者ばかりでなく
己をも傷つけてしまう。
「欲」は諸刃の剣
使い方一つで
己を向上していけるし
己をズタズタにも出来る。
寺で修行するという事は
そういった
己の中の
強大な
狂暴な
エネルギーを制御する
その方法を学び
実践することでもあるのです。
悟りへ至るための行
六波羅蜜(ろくはらみつ・ろっぱらみつ)の中に
「忍褥(にんにく)」がありますが、
これは
目の前の事象に対して
振り回されない心を養う修行です。
何があっても
カッとしない。
おろおろしない。
思いどうりにならないことが
目の前で起きても動じず
慈悲の心をもって相対する
己を作るのです。
「忍褥」は、
その名のとおり
耐え忍ぶことなのです。
私の参学の師が
僧堂に新到(新人の修行僧)の
入ってくる時期、
よくお話しなさる教えに
「氷と水の例え」
があります。
氷と氷とが
思いっきりぶつかれば
両方とも砕けてしまうでしょう。
ところが
一方が氷でも
もう一方が水であれば
どちらかが壊れて傷つくことはない。
氷は自然に溶けてゆき
水どうしになって融和する。。。
人の世も
そうして生きてゆけば
傷つけたり傷ついたりせずに
緩やかに安らかな命を
育むことができるのだ…と。
「水になる修行」は
一朝一夕には出来ませんが
正しく「気をつかう」訓練は
それを大いに助ける手立てになるでしょう。
凡人の最たるものである私は、
ただ愚直に
それを信じて
寺で生きています。
大般若だけでなく
葬儀・法事も含め
寺で行われる法要は
小僧時代から
自坊で他寺院で
何十回何百回やっても
大変「気のつかう」修行ですが、
今年も
一年の始まりの祈りを
沢山の檀信徒の皆さんと
気をつかいあって
良い修行が出来ました。
この修行が
互いに
また一年の笑顔を生むでしょう。
法要って
いっぱい気を遣わなきゃなんないけど
やっぱり
終わった後は何とも言えない
安心感があるんだなあ。
無事に終わってホントによかった♪
願わくは
この功徳をもって
普く一切に及ぼし
我らと
衆生と
皆ともに
仏道を成ぜんことを。。。