おばあちゃんのおしえ 3 |  とある尼さんの誰にも言わないお話
二つ目は、

神仏に向かい合う姿勢です。




お寺では

ご飯の前、
新しく炊いたご飯を
本堂の仏さまにお供えします。


その日も、
祖母と私は

御本尊さま
観音さま
お地蔵さま
ご開山さま

各所に
お仏飯をあげておりました。



落ち着きのない子供だった私は、
ご飯を供えてすぐに
そそくさと手を合わせ
次に回ろうとしましたが、

それを見て
祖母は言いました。


『仏さま拝むときは、

御灯明をつけて

線香真っ直ぐ立てで

きちんと手を合わせて

よっくど(よく)

拝まんなね
(拝まなくちゃダメだよ)』



幼い私は

これまた『ふーん…』
程度にしか思わなかった
ものでしたが、

真剣に
神仏に手を合わす
祖母の姿に

何がなんだかわからないながらも

慌てて
祖母の真似をして
懸命に手を合わせ直したものでした。

(…いや、またすぐに忘れるんですけどね;;)







釈迦の有名な教えに

【八正道】はっしょうどう
正見、
正思惟、
正語、
正業、
正命、
正精進、
正念、
正定

というものがありますが、



目の前の神仏に
真剣に向かい合う
という姿勢は、




己を謙虚に保つものであり、

感謝の心を育てる事であり、

己の身を正しく使い、


自身の【仏】を育てる

まさに【行】なのだと…


この頃

改めて気づかされたり

するのです。







よく
日常の慌ただしさに流され

「仏さま(ご先祖さま)には
いつも心の中で
拝んでいるから…」

なんて言い訳して
日頃のおつとめを
サボってしまいがちですが、

三宝に帰依した
修行の身である以上、

『心だけじゃなく
身体もつかって精進しないと、
ちゃんと身につかないよっ!!』

てな事なんですね。


だから
仏さまには

飲食(おんじき)を供え

御灯明をつけ

線香を立てて

きちんと手を合わせて

供養する必要があるのです。

まさに

“情けは人の為ならず”

正しく供養することで

己の布施の修行になり
仏を育てる。

図らずも、

自然と
その功徳が

亡き人々へと回向するのです。











“心と身体は連動する”


これが命本来の理(コトワリ)です。




心の完成していない
(目覚める者でない)

凡夫である我々が

いくらその心で思っても、

それは所詮
絵空事でしかありえません。




自分の身体を可能な限り

使い続けること



生かされている命を

生き切ること






琴に張られた弦の如く

張りすぎず

緩みすぎないペースで


自分の目の前の事に

誠意をもって行動する。






古来より、

日本人は信仰の篤い民族だと
言われてきましたが、

その
昔の日本人が持っていた

粋さや
謙虚さ等の

“美しさ”は

そんなところから
来ているのかも知れません。








自ら仏に帰依したてまつる

當(まさ)に願わくは衆生とともに

大道(だいどう)を体解(たいげ)して

無上意(むじょうい)を発さん