最後の招待客を見送ったヨンが寝所に行くと、ウンスは寝台の縁に腰を掛けてヨンを待っていた。
中天にかかる大きな白い月の光と部屋に灯された油灯の光が、天界の婚礼衣装を纏ったままのウンスの姿を儚げに浮かび上がらせている。
うつむき加減に座っていたウンスは寝所の戸が開いた音で顔を上げた。
ヨンを見て笑みを浮かべ、パッと立ち上がるとヨンの元へ歩み寄った。
そばに来たウンスをヨンはぎゅっと抱きしめる。
そして白い首筋に顔を埋めウンスの香りを胸いっぱいに満たす。
ウンスもヨンの背に腕を回してその胸に顔を埋めた。
ヨンの身体からはほんのりと酒の香りがして、密着した身体はいつもより熱を帯びている気がする。
「酔ってる?」
「ええ、貴女に」
らしくもないヨンの言葉にウンスは心配になった。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
「ええ、このくらいでは酔わぬ」
首元に顔を埋めたまま話すヨンの熱い吐息が首筋にかかり、ウンスはこそばゆくなって身じろぎする。
「それに、この後が本番だというのにおちおち酔っておれぬ」
「もうっ、貴方まで!」
ウンスはヨンの胸を押して距離をとった。
事実ゆえと、しれっと言ってのけるヨンにウンスは呆れた。
「とにかく無事に終わって良かったわ」
「ええ」
「楽しかったわ、すっごく」
「流石に少し肩が凝りましたが。イムジャもお疲れでしょう」
「少しね。そうそう、さっき持ってきてくれたの、あれ」
そう言ってウンスが指した先、寝室に設えられた卓の上には祝いの膳が用意されており、温かな粥と美しい色のついた餅の他、子孫繁栄を願う子持ちの魚や菜やなどのささやかな料理が並んでいた。
「何か食べる?」
「せっかくゆえ、少しいただきましょう」
「お酒は?」
「たらふく飲まされましたゆえ、酒はもう結構です」
「じゃあ、お茶にする?」
「いただきます」
ウンスは五味子茶を淹れて、ヨンに差し出した。
「イムジャも腹が減ったでしょう。今日はろくに食べてない」
「そうね、ほっとしたら少しお腹減っちゃった」
少しと言いつつ膳のほとんどがウンスの腹に収まった。
すっかり空になった膳をヨンは押しやった。
こうして二人きりになって、やっと一息ついたヨンは改めてウンスをじっくりと見つめた。
「その衣は、どうされたのですか?」
「これ?王妃様からの贈り物、っていうか作ってもらったの。婚礼祝いにって。……ダメだった?」
「いえ、ダメということでは。ただ驚きはしました」
ヨンはウンスとの距離を詰め、ウンスの白い手を取ってそっと握った。
そしてウンスの顔を見据えた。
「ようやく、名実ともに俺の女人に……」
「貴方も名実ともに私の男よ」
「このような日が来ようとは、あの頃は夢にも思うてもみませんでした。貴女を天界から攫い、幾度も危険な目に遭わせ、恐ろしい思いをさせてきた。俺のせいで、俺のために、幾度も泣かせ、「必ず帰す」という約束をしておきながら、いつからか「そばにいてほしい」と矛盾した想いを抱いた」
恋い慕ってはならぬと、いつかお帰しせねばならぬと、何度も何度も己に言い聞かせてきた。
それでも。
「それでも、叶わぬ想いと知りながら、それでも貴女に惹かれ、貴女ことばかり考えておった。離れておると狂おしく、そばにいてももっと、もっとそばにと。恋しくて仕方がなかった」
ウンスはただひたすらヨンの言葉に聞き入った。
「貴女が毒に倒れた時は、そんな浅ましい欲を抱いた俺への天からの罰だと思いました。天がこの方を帰せと言うておるだのと」
「そんな……」
「だから俺は貴女を天に帰そうとした。貴女との別れを決意した夜、これが運命なのだと言い聞かせた。貴女に泣かれ、苦しかった。されど俺は、たとえ貴女と会えなくなろうとも貴女に生きていてほしかった。天界に帰れば命は助かるのに、貴女は俺のそばにいると言って聞かなかった。正直腹が立ちました。どうして俺の気持ちをわかってくださらぬのかと。だが同時に……震えるほど嬉しかった。貴女の想いが」
いつも俺のことを想うてくれる。
俺のために泣き、笑い、怒り、俺のために命をかけ、貴女の全てで守ってくれる。
信じてくれる。
そばにいてくれる。
その想いが、本当に嬉しくて堪らなかった。
「改めてチェ・ヨンの名にかけて誓う。貴女を一生お守りします。二度と一人にしない。二度とこの手を離さぬ。命ある限り貴女と共に」
ウンスは頷く。
「私も誓うわ。ずっと貴方のそばにいるわ。二度と離れないわ」
「イムジャ」
「ありがとう。私と出会ってくれて。私を選んでくれて。いつも助けてくれて、守ってくれて、待っててくれて。それから……私を愛してくれて、ありがとう」
ウンスは涙が滲みそうになるのを必死に堪えて笑みを浮かべた。
「ヨン、愛してるわ」
「あい、してる……?」
「さっきあなたが言った気持ち。言葉にできないほど深く相手を想い、そばにいるのになお恋しく想うこと。それが『愛』よ」
「愛……」
「そう。愛してるっていうのは……その人のことを考えると愛おしさと恋しさで胸が苦しくなって、その人のことが何よりも大切で、その人がいないと生きていけない。心の底からどうしようもないほどその人を求める。そんな想い。貴方のことを考えるとそういう気持ちになるの」
チェ・ヨン、とウンスはもう一度ヨンの名前を呼ぶ。
「私は、貴方を愛してる」
「イムジャ……」
この方への想いが溢れ出す。
貴女を想うと胸が苦しくなる。
自分の命よりも、貴女が大切で、貴女がいなければ生きていけぬ。
共に在っても尚そばにと求めて止まない。
恋い慕う、という言葉だけでは到底足りぬこの方への想い。
この想いが伝えられないことが歯痒くて仕方がなかったが、
貴女へのこの想いを「愛」というのか
「俺は……」
「ん?」
「俺も貴女を愛してる、ウンス」
ウンスが大きく目を見開かれる。
「愛してる……ウンス、貴女を心から」
告げられた言葉に、ウンスの双眸にはみるみる透明な雫が溢れ、やがて大粒の涙が頬を伝う。
泣かないでくれ、とヨンの指先がつと動いて、頬の涙を拭ってくれる。
何とか止めようとしようとするが涙はなかなか止まってくれない。
そればかりかその指先の感触が優しくて、ウンスの瞳からはさらに堰を切ったように幸せの涙が次から次へと溢れてくる。
「イムジャに泣かれるとどうすれば良いのかわからぬ」
「だって、嬉しくて……それに、名前……」
貴女の天の御名を口にできるのは俺だけだ。
そうでしょう?
「ウンス、俺の女人」
夫となった愛しい人の言葉に心の奥が熱く満たされる。
ウンスは溢れる涙を止めることができず、ヨンの広い胸に顔を埋めた。
昂る感情を抑えきれず震える身体をヨンは優しく抱きしめる。
「愛してる、ウンス」
その言葉はどこまでも甘く、優しく、ウンスの心の一番深い場所に落ちて行った。
↓ぽちっと押していただけると嬉しいです(人´∀`*)♡
***
