今日はちょっとらしくない内容を書きます。結婚について。
そんなに明るい話題じゃないのでしんみりしちゃったらごめんなさい。
私の身の回りで、元サヤ婚が増えています。
要は一度離婚して、同じ相手と再婚することですね。
知っているだけで3組います。
最初はですね、乱暴な意見ですが「この人たち、バカなことをしてるなあ」と思っていたんですよね。
離婚することが理解できないというわけではなく、離婚してからまたその相手とやり直すという、その心情がまったく理解できなかったんです。
だってさ、離婚するくらいなんだから相手のことを大嫌いなわけでしょ?と。
結婚は遊びじゃないです。
法的に婚姻を結ぶというのは、ある意味誓約であり契約なんですから、締結された以上は、お互いに結婚生活が維持できるように歩み寄らないといけませんし、相手のあることですから、一方が嫌になったからと言ってそんな簡単に不履行にできるわけでもありません。
こんな事務的な言い方は嫌な人もいるかもしれませんが、そもそも論としてということで。
確かに結婚するのは紙一枚の話なので正直簡単なんですが、離婚は相当面倒くさいと思います。
まあ、そんなに簡単に離婚ができたら婚姻制度成り立ちませんからね。。。
ただし、結婚してからじゃないとわからない相手の性格や癖はやはり出てきますし、結婚してから事情や環境が変わってしまうこともあるでしょう。
例えば、浮気、病気、介護、同居などの夫婦にとって悩ましいイベント。
それをふたりで話し合って譲り合ったり、解決したり、乗り越えたり、受け入れたり、時には第三者を交えて改善策を講じたり、ということもその一部なんじゃないのかなー、と。
(ただし、例外として配偶者の暴力は我慢するに値しない理由なので、即離婚しましょう!!)
普通はそうですから、離婚に至るまでにはそれ相当な理由があるものだと思います。
だからまずもって理解ができなかったんです。
でもですね、この3組、全員漏れなく子どもがいるんですよね。
そうなると、たとえバカなことであったとしても、夫婦が以前の状態に比べて良い方向に変わることができたのであれば、状況は一転、元サヤなのがベストな選択と思えるんですよね。
私は血が水より濃いとは決して思いません。
様々な事情にもよるので一概には言えませんが、子どもは育った環境に左右されると考える人間です。
どんな理由があるにせよ、離婚したときに自分を手放した。捨てられた。
子どもに物心がついている場合、その負の記憶が無意識下でも強烈に焼き付けられるのではないかな、と思っています。
だからといって、生きていくためにそういった環境を受け入れるしかない子どもは、別に実の親を憎むことはないでしょうし、育ての親と喧嘩したときなんかは実の親に会ってみたいと考えることも時にはあるでしょうが、血縁上のつながりはあっても、「親」という絶対な存在としてはもう認識しないんじゃないかなと思います。
自分で意識することはなく、無意識下でね。
なので、子どもを自分の手元に置いて育てるってことは本来当たり前のことではあるんですけど、実はものすごく重要なことだと思うんですよね。
それが両親そろって、という環境であるならなおさらです。
まあ、あくまで私の場合はそう感じるだけです。
色々なご意見や家庭事情があると思うので、これは一価値観ということで。
というわけで、元サヤ婚に理解はできませんが、ベストな選択であろうことは同意します。
ちなみに、タイトルの引用元の「覆水盆に返らず」というのは、取り返しのつかないことをしたときに、二度と元の状態には戻らない(戻せない)ことを喩えた故事ですが、じゃあ元サヤ婚は覆水盆に返ったということなんじゃないの?という質問がやってきそうですが、それは違います。
これには、「完全に元の状態に戻す」という意味が込められていますので。
※興味のある方は由来をどうぞ↓
離婚問題の場合、残念ながらもとの(こじれる前の夫婦関係の)状態には決して戻れないでしょう。
もし、その夫婦が再婚しようと決意したのであれば、お互いに色々傷ついたり悩んだり、一度は相手に愛想を尽かしたりした経験がある上で、それでもやはりこの先この人とやっていこうと考え直し、お互いを受け入れるという、一歩上級者のキャパシティを持っていることを讃えたいと思います。
まあ、中には完全に夫婦の一方に非がある場合もありますし、衝動的に別れを選択しちゃったのでやっぱり思い直した、っていう文字どおりバカな人もいるとは思いますけどね!
(おい、私の知り合いの一組、お前らのことだよ!(笑))