あのね・・1 | Ahの備忘録…滑走路編

Ahの備忘録…滑走路編

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2009年3月末、我が家の生活が一転しました。


数年前から、主人は腰痛に悩まされ、あちこちの病院で診てもらってました。

整骨医院とか、整形外科です。

ようよう辛くなり、一大決心最後に行った整形外科病院で腰の手術を受けることにしました。


手術の前に色々検査していくうち・・・とんでもないことに・・

「あなたは肺がんです、腰の痛みはヘルニアもありますが、癌が骨に転移してるかもしれません」


主人と私は呆気にとられ「ああ、そうですか・・」 平然と答えるだけでした。


腰の手術どころではありません、すぐ日赤に転院。

またまた検査検査。

ステージ4の肺癌末期、すで背骨と気管に転移してるとのこと。

手術は不可能、完治はしません、抗がん剤で現状維持していきましょう・・

という事になりました。


急に言われても、実感わきませんでした(今だに沸いてない)

私が医師に「先生、主人はあとどのくらい生きられますか?って聞いてもいいですか」って

前置きして尋ねると、傍らから主人が「先生、うちのには(私のこと)少し長めに言っといて

ください」って冗談ぽく、笑って言うんです。



なんで、なんで~?!主人は糖尿と高血圧もかかえてるので、定期的に近くの医院で血液検査受けてたし、

整骨医院、整形外科でもレントゲン撮ってたのに・・・


2009年4月

抗がん剤投与による、闘病生活が始まりました。

長男大学3年生、長女高校3年生、次男中学3年生になった、桜咲く春でした。






注) 

以前にも別ブログで闘病日記つけていましたが、ブログ解約して消してしまいました。

でも、備忘録としてまた暫く残しておこうかとこっちで再開しました。

「あれ?話一緒じゃん」!と思ってる方はスルーしといてくださいね。

こっちは、簡単?に端折ってきろくしときます。