津奈木町岩城に所在する

津奈木城跡(舞鶴城跡)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 南北朝時代には名和氏の支城として、一族の加悦氏が城番を勤めていましたが、その後、相良氏の支城となり深水宗方などが城代となりました。現在は、舞鶴城公園として整備されています。

 

 

 

 

※写真は2011年11月撮影

人吉市紺屋町に所在する国登録有形文化財の

街蔵石倉・街蔵麹室です。

 

 人吉城の城下町に所在する、味噌醸造や原材料保管に用いられた石造平屋建て瓦葺きの建物です。近代に人吉・球磨地域で数多く建築された石倉の遺構として貴重です。また、麹室は、切妻造の瓦葺きの建物で、石倉と一体で味噌づくりの景観を伝えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

八代市鏡町鏡に所在する市指定史跡の

御高札場跡です。

 

 八代市HPによると、ここは熊本藩時代、八代〜松橋の下住還の要所でした。当時、人々に法令を徹底させるため、法度や掟書を書いた立札や犯罪人の罪状などをかかげた御高礼場の跡になります。重要な御高札場で特に11枚立でした。鑑内橋のたもとになります。

 

 

※写真は2019年1月撮影

八代市上片町に所在する市指定史跡の

大塚古墳です。

 

 八代市HPによると、大塚古墳は墳丘の一部が削られていますが、現状で全長55.7m、後円部径28m、前方部幅43.1m、後円部高8.9mを測る前方後円墳です。
 昭和43年(1968年)、用水路の改良工事に伴い、墳丘の一部の発掘調査が行われました。この時の調査で、人物埴輪や円筒埴輪、須恵器等が出土しました。

 

 

 

 

※写真は2009年11月撮影

八代市岡町谷川に所在する市指定史跡の

如見第二号古墳です。

 

 周辺の古墳と同じく鬼の岩屋式の石室を持つ古墳です。内部に社が祀ってあります。

 

正面右側(白い標柱が立っているところ)が古墳です。

 

 

 

 

※写真は2019年1月撮影

人吉市紺屋町に所在する国登録有形文化財の

公衆温泉新温泉です。

 

 人吉温泉街の中に所在する公衆浴場でしたが、令和2年7月豪雨により被災し、休業に追い込まれました。木造平屋建ての建物で、正面に庇を設け、男女別の入口を持っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

熊本市西区小島に所在する国指定史跡の

千金甲(せごんこう)古墳(甲号)です。

 

 熊本市HPによると、石室内には凝灰岩の板石6枚を使って石障がめぐらされており、その内側に靫(矢をいれるリュックサックのようなもの)、同心円文、対角線文などが刻まれ、赤・青(緑)・黄で彩色されています。早くから石室の天井部近くが開口していたため、副葬品は残っていませんが、5世紀の築造と推定されています。全国の国史跡の中で最初に指定されたものの一つで、大正10年3月3日に指定されています。

 

 

 

 

この説明板がある場所から階段を登って行ったところに古墳があります。

 

※写真は2017年5月撮影

阿蘇市的石に所在する国指定史跡の

豊後街道(隼鷹(はやたか)天満宮)です。

 

 熊本藩の第3代藩主、 細川綱利が参勤交代のため船で江戸に向かっている時、天候が悪 化して波に船がのまれようとしました。 その時、 一羽の白鷹がどこからともなく船柱に飛んできたそうです。すると、荒れ狂う波はすぐにおさまり、無事に渡航を終えて上陸することができました。

 綱利は、その夜、旅宿で白鷹は的石天満宮の現化という夢を見て、その霊験のあらたかなことを感じ、京都で社殿建立を命ぜられました。これが隼鷹天満宮です。

 平成28年熊本地震では大きな被害を受けましたが、無事復旧されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2020年6月撮影

↓熊本地震での被災の状況↓

道路沿いの入口の鳥居崩壊状況

 

拝殿の被災状況

 

 

 

本殿の被災状況

 

 

※写真は2017年8月撮影

産山村大利に所在する県指定天然記念物の

鞍掛のクヌギ(櫟)です。

 

 産山村HPによると、豊後街道(弁天坂)の石畳を下り、その奥の斜面を登った山頂の開けた場所にあります。樹高20m、幹囲2.9m、樹齢は推定630年の櫟の木で、女神弁財天が牛の鞍をこの枝に掛け、休息したことから鞍掛のクヌギと呼ばれるようになったと言われているそうです。

 クヌギには女性の乳房を思わせる膨らみがあり、これを地元の人は「垂乳櫟」と呼び、触ると母乳の出が良くなると伝えられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2019年5月撮影

山鹿市鹿央町岩原に所在する

横山古墳です。

文化財の指定は受けていません。

 

 この古墳は、元々今の熊本市北区植木町に所在しましたが、九州縦貫道の予定地となり、この場所に移築復元された装飾古墳です。石室内の石屋形袖石に同心円文、双脚輪状文、三角文などが描かれています。

 

※写真は2020年5月撮影