和水町東吉地に所在する

柳川由布大炊助の墓です。

文化財の指定は受けていません。

 

 県道195号の北側に所在します。

 説明板によると、由布大炊助は豊後由布氏の一族で、柳川城主立花宗茂の家人と言われています。天正15年(1587年)の国衆一揆の際、侍大将だった大炊助は城に向けて攻め込むと、田中城内から躍り出た中村治部少輔が立ちふさがり名乗りを上げました。しかし、大炊助がこれに応ずる気配も見せずに進んできたため、中村治部が放った矢に貫き通され討死したそうです。後世になり、大炊助は生まれつき難聴だったため、名乗りが聞こえず攻め込み討死してしまったと言われるようになり、そのことを不憫に思った地元の人々が墓を建てて祀ったと言われています。その後、「耳の神様」として祀られるようになったそうです。

 

 

 

 

※写真は2020年4月撮影